ゲイのみなづち(@minaduchi)です。
30年連れ添っても、最後の別れで「友人です」と名乗るしかない。そんな現実が、今の日本にある。
喪主にもなれず、遺族席にも座れず、疎遠な親戚よりずっと後ろで焼香する。婚姻届一枚の有無が、最後の別れの場での扱いに大きな差を生むことがある。
一緒に考えてほしい。同性婚のない社会が、死別の瞬間に当事者に何を強いているのかを。
本記事のポイント
- あなたの隣にも今日、「友人です」と名乗るしかない人がいるかもしれない
- 任意後見は死亡と同時に効力消滅し、葬儀の場では「他人」に戻る
- 2024年最高裁判決は前進だが、年金・相続・婚姻制度は依然として対象外
🕊️ 告別式の受付で「……友人です」
同性婚のない国で死別が起きたとき、最初の壁は告別式の受付で訪れる。
「ご関係は?」と聞かれた瞬間
「ご関係は?」と問われた。
声は、小さかった。
30年、共に生きてきた。
生活のすべてが重なっていた。
互いの病を看て、老いを見守ってきた。
それでも返せる言葉は一つだった。
「……友人です」。
故人の親族が、そう答えさせた。
理由はわからない。
しかし結果として、30年の重みは「友人」の二文字に消えた。
遺族席の外で、疎遠な親戚よりずっと後ろに
遺族席には座れなかった。
法的配偶者としての地位がないため、喪主や遺族として扱われにくい。
焼香の順番は、ほとんど顔を知らない遠縁の親戚のずっと後ろだった。
目が赤くなっていた。
泣くことすら、その場ではばかられた。
異性の夫婦なら、何も問われない
もし二人が異性のカップルなら、話は全く違った。
婚姻届一枚で、喪主を務めることができた。
遺族席に座ることもできた。
最期を共に過ごすこともできた。
誰に問われることなく。
同性であるというただ一点の理由で、30年という歳月が「友人」に書き換えられる。それが、この国の「法の下の平等」の現実だ。
📋 同性婚がない国で婚姻届一枚が持つ「死後の力」
婚姻届という一枚の紙が、人の死後においても圧倒的な法的権力を持つ。同性カップルはその権力の外に置かれており、葬儀・追悼のあらゆる局面でその差が露わになる。
喪主権・焼香順・遺族席。葬儀の場が映す関係性の格差
日本の葬儀において、喪主を誰が務めるかを定めた実定法は存在しない。しかし「血縁者・法的配偶者が最優先される」という強固な社会規範がある。祭祀や葬送をめぐる主導権は、指定・慣習・親族間の力関係に左右されやすく、同性パートナーは不利になりやすい。
残されたパートナーが喪主になれない場合、以下のような事態が生じる。
- 遺族席に座ることができない
- 焼香の順番が一般参列者と同等かそれ以下になる
- 故人との関係性を隠蔽させられる
- 弔問客への挨拶の場を与えられない
葬儀は死を受け入れ、悲しみを処理するための重要な儀式だ。その場で関係性を否定されることは、何十年もの共同生活の歴史ごと消し去られることを意味し、単なる手続き上の問題ではなく、精神的な存在の抹消にほかならない。
40年連れ添っても「他人」。実際に起きた裁判
これは抽象的な話ではない。40年以上共に生きた同性パートナーの火葬への立ち会いを親族から拒否され、実質的に二人で運営していた事務所を親族が廃業通知を勝手に取引先に送りつけて継続不能にしたとして、ゲイ男性が裁判を起こした事例が報告されている。
「あなたには何の権利もない」。報道によれば、これは親族側の代理人弁護士が原告に言い放った言葉だとされている。40年という歳月を共に歩んできた事実があっても、法的な婚姻関係がないことで最期の場面においてすらパートナーは「赤の他人」として扱われる。この事例が示すのは、制度の空白が現実にいかに残酷な結果をもたらすかという厳然たる事実だ。
🏥 同性婚なき日本で最後の別れを奪われる3つの場面
この問題の核心は、葬儀だけにとどまらない。医療・相続・税制という3つの領域にわたって、同性カップルは死別の瞬間に向けて重層的な不利益を抱えている。
病院のベッドサイドで「家族ではない」と告げられる
終末期医療の現場では、患者が意識を失った場合、医療機関は「法的な家族(親族)」の同意を強く求める傾向がある。実務上、配偶者は治療方針の決定においてキーパーソンとして優先的に扱われることが多い。ただし、日本では医療同意の法的整理が明確でなく、その「優先」は権利ではなく慣行に近いという点は重要だ。
同性パートナーには、その慣行の恩恵すら届かないケースが生じる。親族が同性パートナーの存在を認めていない場合、長年連れ添った伴侶であっても集中治療室への面会を拒まれ、最期の時間を共に過ごすことができない事態が起き得る。緊急の医療事態は、常に完璧な法的準備が整った状態で起きるわけではない。この現実的な懸念が、当事者を慢性的な不安の中に置き続けている。
住み慣れた家から退去を迫られる。相続の現実
有効な遺言書がない場合、故人の財産はすべて民法が定める法定相続人(親、兄弟姉妹、甥・姪など)に相続される。たとえその財産が長年の共同生活で二人が築き上げたものであっても、法的な手当てがなければ同性パートナーの手には渡らない。
最も深刻なのは住居の問題だ。二人で暮らしていた家の名義が故人であった場合、残されたパートナーは親族から退去を迫られるリスクを抱える。最愛の人を失った直後の最も不安定な時期に、住む場所まで奪われるという事態は、生存の基盤そのものを脅かす。
配偶者控除と2割加算。税制が重ねる格差
仮に公正証書遺言を作成し、全財産をパートナーに遺贈する準備を整えていたとしても、税制という壁が立ちはだかる。異性の夫婦であれば相続税の配偶者控除として、1億6,000万円または法定相続分まで非課税という強力な優遇を受けられる。同性パートナーはこの「配偶者」に該当しない。
さらに、法定相続人以外への遺贈には「相続税額の2割加算」というペナルティ的な課税が課される。同性パートナーへの遺贈はまさにこれに当たり、算出額より20%増の税金を納める必要がある。加えて所得税・住民税の配偶者控除(所得控除で合計最大71万円の控除枠)も、同性パートナーには原則として適用されない。遺言という自己防衛の手段を最大限に活用しても、税制の壁は越えられないのだ。
📝 「任意後見があれば解決する」は本当か
任意後見があれば大丈夫。そう思っている人に、一つだけ知ってほしいことがある。大切な人が亡くなったその瞬間、その契約は完全に効力を失う。
任意後見契約は、本人が死亡した瞬間に法的効力を完全に失う。
パートナーが息を引き取ったその瞬間から、任意後見人としての権限は消滅する。葬儀の執行、遺体の引き取り、死亡届の提出について、法的な立場は「ただの他人」に戻る。これを補うには「死後事務委任契約」を別途締結する必要があるが、民間の委任契約が血縁関係の壁を確実に乗り越える保証はどこにもない。
加えて、これらの契約を整備するには以下のコストがかかる。
- 公証・専門家相談などの費用負担が生じることがある
- 「もしもの絶望的な事態」を常に想定し続ける心理的負担
費用だけではない。この手間と心理的負担の重さそのものが、制度の非対称性の正体だ。異性の夫婦は婚姻届一枚で、費用ゼロで、即座に包括的な権利を得る。同性カップルはその何倍もの手間と費用を投じても、同等の保護に辿り着けない。「代替手段で解決できる」という楽観論が見落としている現実は、この三重の非対称性にある。
⚖️ 2024年最高裁判決が開けた扉
2024年3月の最高裁判決は、制度的排除の壁に最初の亀裂を入れた。しかし中核の保護、相続・税制・年金は、今なお壁のままだ。
犯罪被害者等給付金をめぐり、最高裁はこれまで「事実婚とは異性間に限られる」という行政側の解釈を明確に退け、同性パートナーも「事実婚」に該当し得るとの初判断を示した。この判決を受け、2025年には政府が33本の法令について同性パートナーへの適用拡大を発表している。
重要な留保も確認しておきたい。婚姻制度そのもの、税制(相続税配偶者控除)、遺族年金は依然として対象外だ。扉が開いた後も、当事者は制度の外に立ったままだ。
高裁での違憲判断は6件中5件(83.3%)に達し、早ければ2026年にも最高裁での重要な判断が示される可能性があるとされているが、時期は未確定だ。最も重要な保護の鍵は、まだ立法府が握っている。
💔 悲しむことも許されない社会:公認されない悲嘆とは何か
同性婚のない社会は、悲しむ権利そのものまで奪う。「公認されない悲嘆(Disenfranchised Grief)」という見えない暴力だ。社会学・臨床心理学の領域で長年研究されてきた概念で、個人が経験する喪失が、周囲の社会や制度によって「正当な悲しみ」として承認されず、公に表現することが許されない状態を指す。
当事者が直面する具体的な困難は、以下のように重なり合う。
- 忌引休暇が取りにくい:配偶者の死亡でなければ適用されないケースがある
- 職場で事情を説明しにくい:関係性を明かすことで差別のリスクが生じる
- 遺族支援の場で語れない:支援の場そのものが「異性婚家族」を前提に設計されている
- 「友人」として振る舞い続けることを強要される:葬儀の場が悲しみの場でなく、関係性の否定の場に反転する
悲しみを表出する場を奪われた結果、残されたパートナーが深刻な抑うつや孤立、複雑性悲嘆へと追い込まれていく可能性が指摘されている。一般の遺族会や支援グループに行っても「あなたの関係性は、ここでは語りにくい」と感じさせられる孤立が、当事者をさらに追い詰める。
婚姻の平等が実現するとは、経済的な権利が得られるということだけではない。「この人の伴侶として、公に悲しむことが許される」という社会的な承認を得ることでもある。
❓ よくある質問(FAQ)
Q1. 任意後見制度を活用すれば、パートナーの死後も権利が守られますか?
A. 任意後見契約は本人の死亡と同時に効力を失います。葬儀・遺体の引き取り・財産整理について、その瞬間から法的な権限はなくなります。これを補うには「死後事務委任契約」を別途締結する必要がありますが、それでも相続税の配偶者控除や遺族年金といった婚姻に紐づく制度的保護は得られません。任意後見は重要な備えですが、婚姻の代わりにはなりません。
Q2. 2024年の最高裁判決で、同性カップルの権利は大きく変わりましたか?
A. 犯罪被害者等給付金について同性パートナーを「事実婚」として認める初めての判断が示されたことは、重要な前進です。2025年には政府が33本の法令への適用拡大を発表しています。ただし、婚姻制度そのもの・相続税の配偶者控除・遺族年金などの中核的な保護は依然として対象外です。扉は開きましたが、最も重要な保護の整備はこれからです。
Q3. パートナーシップ制度が広がっているなら、それで十分では?
A. パートナーシップ制度は重要な一歩ですが、婚姻の代替にはなりません。Marriage For All Japan情報DB(2024年1月1日住民基本台帳人口ベース)によれば543自治体・人口カバー率93.06%に達していますが、この制度には法的拘束力がありません。相続権・配偶者控除・遺族年金・健康保険の被扶養者認定は適用されず、病院や企業に法的義務を課すこともできません。制度の運用は各機関の善意に依存する「お願いベース」の仕組みです。大阪高裁は「別制度は新たな差別だ」と明言しており、婚姻と同等の法的保護こそが必要だと司法も判断しています。
✊ まとめ:最後の別れまで、平等に
婚姻届一枚の有無が、喪主になることも、最期の時間を共に過ごすことも、財産を受け継ぐことも、そして堂々と悲しむことさえも左右する。任意後見も遺言も、その根本的な不均衡を埋めるには至らない。「最後の別れに嘘を強要しない社会」は、婚姻の平等によってのみ実現する。
本記事のポイントを振り返ります。
- 30年の共同生活も、法的婚姻なくしては「他人」という1語に上書きされる社会構造がある
- 婚姻届一枚で済むコストが、同性カップルには何倍もかかる。この非対称性こそが問題の核心だ
- 最高裁が「事実婚」概念を同性カップルに拡張しても、年金・税制・婚姻制度は今なお壁のままだ
もしこの記事を読んで何かを感じてくれたなら、あなたの大切な人に話してみてほしい。声にすることが、社会を変える一歩になる。
この記事をもっと詳しく読みたい方へ
より詳しい情報は、ブログ記事で解説しています:
https://minaduchi.blog/doseikonganai-kokoku-yuujin
この記事の元になった投稿はこちら
https://www.threads.com/@minaduchi/post/DVcldMtEm-b
参考資料
・厚生労働省「人生の最終段階における医療・ケアの決定プロセスに関するガイドライン」関連パブリックコメント
・LGBT法連合会「犯罪被害者給付金の同性パートナーへの適用に関する最高裁判決についての声明」(2024年4月1日)
・愛知県弁護士会「同性パートナーにも犯罪被害の遺族給付金を訴訟最高裁判決を受けての会長声明」
・Bristowe K, Marshall S, Harding R「The bereavement experiences of LGBT people who have lost a partner: A systematic review, thematic synthesis and modelling of the literature」(Palliative Medicine, 2016)
・Marriage For All Japan(結婚の自由をすべての人に)公式情報データベース







