文章を書き終わった後に読み返すと、結構自分大丈夫??という文章でした(汗)
でもせっかく書いたので、読んで頂けたら幸いですw
気づけば12月に入りました。
結局11月はブログを更新する事のないまま、1か月以上が経ちました。
11月24日(火)に家の基礎の撤去に伴う、場所の確認作業を僕と役所の方、解体業者の方と3者間で立会いを行いました。
来年の春までには、僕の家の基礎も撤去され、土盛りされるとの事です。
肝心の復興計画ですが、現在ではこの家のあった場所は土地区画整理を行った後、『農地』となるそうです。
そして、新たに整備した土地に『仮換地』として、新たな土地を配分するとか。
土地の評価額は、震災後の現在の価格。
新たに整備した土地は、今の土地値段より上昇するのはあきらかで、
その分新たに配分される土地は狭くなります。
そもそも、浸水地域に配分される『仮換地』に住む事は、自分は嫌です。
かといって、別の場所に土地を買って、家を建てるような経済的な余裕は到底ありません。
ここに住んで働いている以上、
仕事の将来も見えない状況でもあります。
(もちろんそれをなんとかする為に日々戦っているのですが)
色々な計画が錯綜しているなか、
結局の所、自分は何も出来ないまま、制度やシュミレーションの中で決定していった事項に流されるように日々が進んで行っています。
先日も自宅跡地に行き、寒かったので車の中でですが色々な思いを考えさせられました。
『何故、自分はこの場所に残っていたいと思っているのか』
震災から1年8ヶ月頃までは本当に無我夢中でした。
自分だけではなく、
共に住む人たち(友人や仲間も)と手を取って頑張りたい。頑張らなければいけない。と
頭の中は100%それでした。
それが、亡くなった親類や友人の思いを考える事と繋がっていました。
同時に、大事なものが多く無くなった中で、
自分が社会に存在する『居場所』みたいなものを、取り戻したいとも思っていたからです。
震災後、色々な場面で【節目】がありました。
毎月11日
両親の写真を川辺で見つけた時、
父親の免許証が警察に届けられて手元についた時、
新たな出会い
そして別れ
仕事も私生活も、
あの日から、何十年分もの経験をしてきたと思います。
今回の家の基礎撤去の解体も気持ちの中では、一つの【節目】なのかなとも思っています。
人生には正解はないでしょう。
でも後悔しないようにがむしゃらに生きて、亡くなった人たちの元に行くときに、
胸を張って会えるようにはしたいと思っています。
亡くなった母親が死ぬ前に行ってくれました。
『あなたはあなたの人生、周りがどうこう言ってもあなたの生きたいように生きなさい』と
そして
『両親の事を考えて、千葉から釜石に戻ってきたんでしょ。あなたは優しすぎるから心配なのよ』
とも。
自分の人生ってなんだろう
自分は何がしたいのだろう
この年齢になって
そんな事を日々考えてしまっています。
少し疲れているのかも知れませんがw
昼は笑ってます
夜は凹んでます
みんなといると頑張ろうと言っています。
一人で考えるとため息が出ます。
あの日以降、本当に心の底から笑った事は数度しかありません。
それでも笑えてるのは、まだ幸せな方なのかと思います。
何だか訳がわかりません。
誰か教えてくださ~いw(><) (笑)
そんな事を考えながら、また明日の朝が来ます。
あぁ、本当に疲れてるのかも~w
でも気持ちの整理を言葉や文章にする事も時には必要なのかなとも思います。
次回はもっと明るい話題を記事にしないとですね。
ではでは。
