そういえば、お茶を点てるのには 電気いらないんですよね。
昼なら照明もつけないし、あとはカメラを構える自分だけ。
省エネな遊びって 考えてみると結構たくさんある気がします。
自然を愛で、そっと寄り添うような点茶のマナーを見つめていて
「病気とうまく付き合うという考え方があったな」と思いました。
抵抗するというよりは、共に歩む。
世の中のおじいちゃん・おばあちゃんは だいたい得意です。
高校生のころ、自転車を盗まれたときに 父は焦って言いました。
「新しいのを買いにいこう。イヤな事はすぐ忘れよう。」
3月11日、デスクに飾ってあるコルクボードが倒れてきたとき
惨めな気分になって 「大変だ。早く元に戻さなきゃ。」と思いました。
直せるものは、さっさと軌道修正したほうがいいに決まってます。
でも 長期戦で、嘆いたり抗ったりすることの意味って何だろう?
同僚と、弱いながらも暖房のついた安全なビルにいて
「あー、また揺れた」と微笑むことは間違いですか?
あのへんの出身である子がFacebookに返信しないからといって
遠くのあの子がいつまでも気を揉むことに意味ってある?
いや、戦うことが美学だという気もするんですけどね。
どうやら私は 負けることの強さに魅了されつつあります。
「揺れた?揺れたんじゃない?あぁ、気のせいか・・・」
こんな現象も、苦しいと感じた瞬間に病名がつきます。
苦しんでいる人にはちゃんと病名をつけて治療すべきですが
「自分は平気なんですぅ」と言うことがタブーにならないといいな。
薄茶(うすちゃ)はサラサラのお抹茶のことで
濃茶(こいちゃ)はもっと濃くドロドロに入れたやつで
それぞれちがった道具と作法があるんですって。
お茶粉の容器、の布袋、のヒモのしばり方!まで決まっていて
テキストブックには受験生みたいに付箋を貼りまくっています。
今年もお茶の稽古がスタートしましたー。




