ずーっとやってみたかったことでした。
川の流れって、石ひとつで変わったりしますよね。
空港は、人が流れる場所ですが
そこにふと 素敵な椅子があったら 私たちはどう動くのか
かたちや色によって、どう心のザワザワ具合が違ってくるか
それなりに応用のきく話だと思うんだよー
一番初めのベンチで kihachi のソフトクリームを食べました。
あらゆる舞台を観てきて、ふと思いました。
「結局 どの作品も 同じこと言ってません?」
すべての舞台、いやもしかしたらアート全体が
それぞれの視点から語られる「私のお話」であって
様々な表現を駆使して 描写された"人生の解釈"ではないかと。
だからこそ 一番先っぽの所で伝えたいこと、究極のテーマは
ダンサーのオーディションの話でも フランス革命のお話でも
"人生賛美"ってことになるんじゃないでしょうか。
レ・ミゼラブルのスケールの大きさと素晴らしさに
前回ド肝を抜かれ、まんまと2回目を観に行ってしまいました。
でも、レミゼの魅力って何なのでしょうー?
あれだけ素敵な音楽や演出も、この作品のパーツであって
「なぜ私がこんなに感動しちゃってるのか」という答えには
なっていない気がするんですよねー。
たくさんの(本当に、たっくさんの)人の人生が語られていて
「こんな人がいました。こんな事がありました。」
要は、オチがない。
回転舞台を使った展開が早いので、なんなら「ハイ次」みたいに
ビュンビュン歴史が通り過ぎていきます。
"うねり"という事を感じました。
たとえば失恋して惨めだわ~と歌う女の子のソロがあるけど、
終わるとすぐに民衆が出てきて 女の子を街の喧騒へ飲みこんでいく。
誰もかれもがものすごく自己主張をしているのに、
ストーリーは立ち止まらずにガシガシ回り続けるんです。
それを観客は、街全体を遠く眺めたり 1人に焦点を絞ってみたりして
なーんかウルウルしちゃうんですね。
場面によっていくつもの役を演じるようになっているキャスト構成とか
あちこちに視点を持っていかれる演出だとか
ちっぽけな自分なんか捨てちゃえっと言われているような感覚で
留学中に、ありもしない個性を掘り起こそうとするんじゃなくて、
好き嫌いや勝手な善悪なんか振り捨てるくらいに変わり続けて
最後に残ったものが「自分」と言えるんじゃないかなぁと
そんな激しいことを考えていたことがありました。
激しいけど、似てるかもしれない。
森久美子さんを すごく好きになりました。
いや~きれいっすね!
・・・なんて拍手喝采してる場合ではないのです。
お茶会デビューはもう2週間後に迫っているのだ。わぉ。
茶道というのは、なんだかとっても和風な感じがいたしますが
今度のお茶会は キリスト教の教会でやるんだって。
江戸時代の隠れキリシタンの、十字架の入ったお茶碗がすごい。
思いっきりクロスに見えるのですが、
これはちがうんです!米俵の結び目の模様なんです!
ってことにしてあるらしい。
他にもお茶碗の底が十字架の形になってたりとか
溝が深く掘ってあって、日が当たるとクロスが出る茶杓とか
細かいところに意味を持たせるあたり、
まるでピラミッドじゃないですか。
黄金の畳が、黄金の砂漠に見えてくるじゃないですか。
日本ではやっぱり、たくさん壊されて捨てられたけれども
バチカンなんかに行くと、まだ残ってるんだって。
宣教師たちが持ち帰ったりしたんだって。
日本の茶道に溶け込んだキリスト教だなんて
あっちの人が見ても面白いんだろうなぁ。
いや~面白い!
・・・なんて言ってる場合ではないんだけど。