最強である。とも言える。 -18ページ目

最強である。とも言える。

〜好きなことをしよう〜

自分とは性質のちがう誰かが現れて、

ひと悶着あったり悩んだり新しい経験や別れがあって

最後には主人公やそれを取り囲む登場人物が

元通り・・・になったように見えて!

実は心の中は、少しポジティブに変化している。


悪役の存在意義って、雨降って地固まることですよね。

ストーリーの立場からいうと「そのほうが面白いから」です。


最強である。とも言える。-alma


ヒマだなぁ、とか 何でもいいから吸収しなきゃ!と思ってる時って

気持ちの沸点が低いので ハズレを引くことも多いですよねぇ。

いじわるな言い方をすると、逆に 「厳選する」ことにすれば

楽しかった!とあとで思う率が高くなります。

そして、厳選するためのハードルを持つ時に

もともとの位置、基本形の質を高めるのはすごく大事です。


魅力もユーモアもない主人公がいたとして、

「ま、何も起こらないよりいっか」くらいの事件が起こって

なんだかんだ解決するお話よりも


もともと素敵な主人公が、素敵な仲間といっしょにいて

「何も起こらなくてもいいのに!」と思うんだけど

事件が起こって、解決しながらさらに素敵になるお話のほうが

一枚多く面白いじゃないですか。


私の一番好きな状態は、ひとりで自由に遊ぶ時です。

面倒だけど、それを犠牲にしてもいいくらい面白そうじゃん?

という特別な期待があるときだけ、出かけます。


何もしないよりいいや、という考えで出かけたり、

溜め息ついて これでいいか、と選んだものを食べたり

そういうことは、なくしたほうがいい!

何年か前にこれを始めましたが、今でもなかなか良いです。


最強である。とも言える。-alma


まだ解せないのは、 お芝居には時々、

「悪役、兼、コメディ担当」 みたいなのがいるってことで


主人公にとっては都合の悪いことばかりやるくせに

しょうがねぇなこいつは、というスタンスで好かれていて

観客は、そいつが出てくるのを楽しみにしていている。


このへんの感覚は、まだちょっと不思議なのです。

エスプリなのかなぁー。


ユダヤ人というのはなんか、

こうしてみると 可愛げがないというか シブトイというか


笑い満載、謎いっぱいのシェイクスピアですー


最強である。とも言える。-jiyu


投資ファンド業界に身を置く私には複雑なんですが

当時のベネチアにおいて、ユダヤ人の高利貸しというのは

悪徳金融業者、今でいうハゲタカの典型みたいなものらしく


頭はいい。

お金も持ってる。

そして、嫌われている。


歴史に詳しいという友達を思わず質問攻めにしちゃったんだけど

ユダヤ人が商人なのは、それより上の地位を許されなかったためで

どうしても商人として生き延びなくちゃならなくなった彼らが

色々工夫した結果、お金儲けがウマくなっちゃったんだと。


蔑まされているのを知りながら、理路整然と主張するのです。

「契約は契約なんだから。」


ね。可愛くないでしょう?


イジめられているという状況が可哀そうなのではなくて、

抑圧に耐え、すがるモノが富と正論だけだったという歴史が

どうしようもなく不幸に思えました。


ユダヤ人シャイロックさんの悲劇、でもあるのでしょうが

このような存在を生み出してしまった社会の醜さと

ユダヤ人が不在のシーンはカラっと明るく楽しい、という

キリスト教ヨーロッパ人さんたちの1人芝居的な滑稽さとで

悲劇と喜劇をコンボにして同時に味わっちゃったみたいな

盛りだくさんの満足感をおぼえました。


最強である。とも言える。-jiyu


シャイロックさんを「自分ぽい?」と思っちゃったのは秘密です。


舞台のニセモノ感をわざと全面に出すスタイルは
シェイクスピア独特の持ち味だなぁ。

ちょっと古めかしいんだけど、そこが良かったりする。


シェイクスピア作品で、ドっと客席が爆笑したんだよ。

本当だって!


最強である。とも言える。-jiyu


おこがましい提案。。。

1幕ってプロローグみたいなもんだから

作品によって どうしても一瞬だけ眠くなるんです。

そこでー。お芝居の 1幕と2幕を逆転するってどうかな。

だから結末を観てからー。古畑任三郎みたいにー。

ダメっすかね?

「なぜ 子供はすぐ走り出すのか!?」


これ、自分もかつて子供だったわりに

答えがわからないんです。


なんでー?


最強である。とも言える。-all along


一刻も早くたどりつきたい場所があるから、かなぁ。

それから なんとなく、全速力でいたいから?



子供が走り始めるところを観察してみると

彼らには必ず動機があることがわかります。

無意味に走るのではない。


住所がわからなくても、行き方を知らなくても、

あそこへ行くんだ!という最終的な目的がある。

途中の事はぜーんぶすっ飛ばしていて、

心はもう到着地点にあるから

彼らの頭の中では、スタート地点と目的地の間がない。

早く!早く!と、気が焦るあまり走ってしまう。

これが1つ。


それから全力でいるってことは気持ちが良いし

力加減がいらないのである意味カンタンである、というのが 2つ。


最強である。とも言える。-smile checker


でも、そうだとすると

今私たちがオトナ社会でやっていることと同じで


たとえば エレベータのボタンを連打すること

とりあえずパソコンで検索しちゃうこと

自分でやらずに業者に頼むこと

そんなに遠くはないけどタクシー使っちゃうこと


これって、突っ走る頭のほうへ調子を合わせた気持ちイイ方法

つまり「走る」ことの変化形じゃなかろうか!


なんだなんだ、自分はそれほど変わってないじゃない、と

ここまで考えて ちょっと安心したのです。


最強である。とも言える。-in the pocket


目的地へ着けない注意散漫な子ってのもいるんだよね。

そういう子にとって道中には楽しいことがありすぎるんだよね。


ウサギとカメのカメはさぁ。。。みたいな。