雨降って 地ぐちゃぐちゃ
さぶいね~って言ったら、うんっ♪てウキウキな返事が返ってきたよ
この子は嬉しいんだそうだ。早く山に行きたいんだそうだ。
ついに行ってみようと思って向かった吉祥寺のトンカツ屋さんの隣に
新しいうどん屋さんができていて、うっかり入ってしまった。
うぅ、またトンカツ食べれなかった。でもうどんって美味しいわー
遠くで聞こえる消防車の音に、残念で物騒な気分になりつつも
たとえば今、爆弾が降りかかってくる可能性は、まぁゼロだと判断して
気づけば2ヶ月ぶりだったマッサージで無防備にウトウトしながら
手の届かない所にサイフを放置して パジャマみたいな服で
知らない人に「どうぞ、やっちゃってください」って委ねる
そういうことに癒されました。
相対的に見ても、自分は恵まれているのだろうと思いました。
社会人のコントロールとしては、
風が吹いたとしてさ、うぅぅぅって頑張って立ってる
だったら転ばないように、表面は小さくしたほうがいいさってなる。
でももし、風が吹く時に足元に車輪をつけたら
ツイーって進んで、面白いから表面広くしてみようってなる。
車輪というのはつまり、「私」と地面とをつなげるメディアで
自分の場合は「言語」であったり「国際経験」「視野豊かな友人」であり
でも運ばれて運ばれて、あぁ自分自身は動いてないぞって気づく
説明できないほど無意識のところに自分のモノサシがあって
自分でも気づかないうちにイラッとしていたりして
理解できない他人の行動と相まって
なんでだろうーと考え込んでしまうことある?
考えると、そのうち自分なりに納得する所まで行っちゃうから
たとえば、目の前にある物が醜ければ
なんでだろうなんでだろうって考えて、悪を理解してしまうのでは!?
みたいな恐怖があります。
楽器でもシゴトでも出産経験でもいいけど、それをメディアとして
その車輪の上で、起き上がりこぶしみたくミョーンミョーンって動けば
さらに面白いかなぁと思っている今、
「"ない"というのは、あるよ」ってゼロを発明したら楽になったように
与えられえたモノに耐えて「楽しいです」って顔ひきつらせるよりは
「つまんないです」って笑って態勢を変えてみる、次に行ってみる
で、そういう旅路をまるごと面白がる、というのがイイなぁと思います。
順応するのではなくて、反応するコントロールってあるよね。
だって筋肉は、動かさないと凝り固まるのだ!
