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☆心の種☆きらきらnurse conamiの足跡

看護師になって8年。あることがきっかけで、これまでの看護観を見直すべく、看護学生時代からこれまでの足跡を綴ります。これから医療者となる方は勿論、現役nurseの皆様、そうじゃない方も読んで頂けたら嬉しいです。

今時期とは、全く関係ないタイトルですが。。。。




外科病棟で働いていたときのお話。



受け持ち患者様であった80代女性。

病名はすい臓がん。



余命宣告を受け、それでも抗がん剤治療を一生懸命頑張られていた。

ご主人はわりと強面で、最初の印象は、話にくそう・・・・だった。



自分の祖母と変わらないその患者さんは、とても80代に見えない、朗らかな感じの漂う小柄な女性だった。





毎日のケア(清拭や洗髪・点滴のライン交換等)を行いながら、たくさんのお話をした。



日に日に体力も衰えて、受け持ち当初のように言葉を発することも少なくなってきた。



しかし、強面のご主人が面会に来ると、満面の笑み。



ご主人が来られるのを私たちスタッフも待ち遠しい、そんな毎日だった。





桜が咲き始めようとしていた3月下旬。

いつものように、朝早くからご主人が面会に来られていた。

私は深夜勤務をもうすぐ終える時間帯だったが、ご主人の後ろ姿をみつけ、とっさに声をかけた。




「今日もお早い面会ですね。

○さんも首を長くされてお待ちですよ。

昨日の夜はよく休まれていました。」


私の顔を見るなり、ご主人は涙を浮かべ、


「ありがとう。ありがとう。今日は桜を持ってきて喜ばせようと思っているんだけど、調子が気になっていたとこ

 だったんだ。桜見れそうだね。夜休んだなら、少しは起きていてくれるだろう・・・」





ご主人の右手には、桜の枝が無造作に新聞紙にくるまれて、わずかながら花が開いていた。




私は、「その桜、どうしたんですか???」と、あっけにとられてしまった。

なぜなら、いまだかつて、桜の枝をへし折って(そういう言い方は好ましくないかもしれないが・・・)病室に持って

来られた家族を見かけたことがなかったから・・・・


そして強面のご主人の目に涙・・・・・

いそがしい深夜勤務だったが、一編に目が覚めたのをよく覚えている。




「心配しんさんな。これはうちの庭に咲いとる桜の木の枝よ。息子が生まれた記念に女房と植えて、毎年この

桜が咲くのを楽しみにしとるんよ。息子も立派に成長してくれて、今からゆうときに、女房の癌が見つかった。

この桜が咲く時期は、良いことも、悪いことも色んなことが今まであった。だけど、2人で見れよったけえ幸せ

じゃった。その当たり前に気づかんかった。

今年はうちに帰ってみるのは無理じゃろう。じゃけえ、桜をもってきたんよ。」




素敵なご夫婦だと思った。


今まで紡いだ年月が、すべてを物語っていた。


患者さんは、その桜を目にした途端、声を上げて泣いたという。(ご主人から後日聞いた話では)


どんな涙だったんだろう。


色んな推測をしてみる。



だけどやめた。



私が推測なんてしなくても、患者さんとご主人の間では、きっと・・・・・




どんな意味の涙だかわかっている気がしたから・・・・・





たくさんの意味があって、たくさんの家族の背景があって・・・・・・



だから看護は奥深い。



その患者さんやご家族に学ばせていただいている。



感謝を忘れてはいけない。



一昨日の記事の後編です。


その後赤ちゃんは20日という短い間でしたが・・・・


お母さんからの愛情を一杯に受けて、また逆に沢山の愛情をお母さんに与えて、お空へ帰って行きました



お母さんは産後5日で、退院したため、その後病棟にこられることはありませんでした。


きっとそれは、元気な赤ちゃんを、その泣き声を見たり聴いたりしたくなかったから。


その心をとても心配していました。


それから、1ヶ月たったある日、病棟に私を訪ねて来てくれたのです。まだ心もしんどい時期に病棟まであがって来てくれました。顔をみたとたん、お互い涙で、抱き合いました。赤ちゃんがお空へ帰って行ったことは、主治医である新生児科の先生に聞いていて知っていました。そして、お母さんから手紙を頂きました。





あのときは本当に有難うございました。一生懸命頑張ったけど、お空に帰りました。今は寂しくてどうしようもない日々ですが、少しづつ普段の日常に戻ります。


精一杯だったと思う。


手紙を書くことだって、普通の生活を送ることだって、大袈裟にいえば、息をして今自分が生きていることに対しても。


そんな気持ちが痛いくらいにわかる自分がいました。


私は看護師である前に母親です。

一人目と二人目の間に、一人赤ちゃんをお空へ見送っています。


妊娠して出産することが、どれほど奇跡で尊いものであるかを知りました。


だから、そのお母さんの心が一番心配でした。

少しづつでいい、前を少しだけ向いてくれたら。

ELT の歌で、題名忘れたけど、なんかのさびの部分に、


晴れるわけでもない空を

それでも僕は、今日を期待して生きてみる。


そんな歌詞が頭をよぎりました。


その子が居なくなって何かでそれを埋めれるほど気持ちの切り替えなんて、多分、きっと出来ない。

だけど、前を向いてくれたらと、それだけを祈りました。


そして、今月初旬、そのお母さんから、手紙が送られてきました。



○さん(私)、育児休暇中でお会い出来なくて残念。先日赤ちゃんをお産しました。元気な女の子です。
今度抱いて下さいね。○さんに立ち会ってもらいたかった。


二年間の歳月を経て、沢山の心の葛藤を抱えながらも、二人のお母さんになられたのです。

すぐ、お返事を出しました。


本当におめでとう。
直接会って抱きたいです。ぜひ元気な顔をまた見せてね。と・・・




あのとき、乗り越えられないと思っていた高い壁が、乗り越えられたことに嬉しくて嬉しくて。


元気な赤ちゃんが生まれたことも嬉しかった。


だけどそれ以上に、前を向いて一生懸命頑張った若いお母さんに、敬意をはらいたい。



三人目の時は、絶対立ち会わせてね!


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産科実習の記事を昨日書いたので、その流れで産婦人科でのことを今日は記事にします。


私は2児の母親です。

一人目を出産し、2年育児休暇をとった後、復帰した部署が、総合周産期センターと呼ばれる、産婦人科と、新生児センターが併設された病棟でした。


みなさんは、産婦人科に対してきっとおめでたいとか、死と直結していないとか、比較的温かいイメージをお持ちだと思います。

しかし、現場はいつも母と子の二つの命を背負う苛酷な現場でした。


ハイリスクと呼ばれる妊婦さんが24時間一年中搬送され、胎児に障害があると事前に分かっていて、産まれてすぐ処置や手術が必要となるお産が沢山ありました。


いわゆる最後の砦である機能を果たす病棟でした。


私の記憶に鮮明に残っている一人のお母さんのお話し。



その方は20歳という若さで母親になりました。

しかし赤ちゃんの心臓には大きな障害があり、お腹のなかではへその緒を通じて呼吸循環が出来ている為、元気でいれるのに、この世に産声を上げたら、すぐ処置が必要とされる状態でした。


お産は勤務上都合がつかず立ち会えなかったのですが、産後受け持ちをさせていただきました。

赤ちゃんはすぐ新生児センターに運ばれ、保育器の中で沢山の機械とチューブにつながれて懸命に頑張っていました。

産後すぐ赤ちゃんにどうしても会いたいと言われるため、車椅子で面会に同行しました。

本当は祖父母は原則センターには入室出来ません。(感染予防の為)
それでもセンターの看護師にかけあい、おじいちゃんおばあちゃんも一緒にお願いしますといった私。

後々決まりを破るなと怒られましたが。

でも、どうしても頑張っている赤ちゃんを見てもらいたかった。

真っ直ぐな瞳で、お母さんは赤ちゃんを見つめて、涙を流しました。



元気に産んであげられなくてごめん。



私は、声をかけようか、戸惑いました。


言葉はいらない、考えている間に、
その震える肩を抱き抱えました。

私も子供を授かり、母になりました。

だからわかる。母にしかわからないこの気持ちが。わが子をいとおしく思うその気持ちが。

「よくがんばりましたね。赤ちゃんも。頑張れなんていわないから、気持ちを今くらい偽らず、感情の向くままに押さえ込まないで。」


私の唯一の声かけでした。


想いを受け入れることは難しい。
同じ状況にたたされないと。

だけど、想いを受け止めることは、出来ます。私は看護師になって、沢山の患者さんにそれを教えてもらいました。


だから、今、わが子を思って涙を流しているお母さんが居たら、伝えたい。

その想いを受け入れる人がいるとしたら、それはあなたが命をかけて生んだ赤ちゃんです。

赤ちゃんとお母さんは、お腹に居るときから繋がっています。いとおしく思う気持ち、わが子を命懸けで守ろうとする母性愛。すべて赤ちゃんは知っています。お腹から出た後だってそう。


自分を責めないで。


沢山の人に、
命の重みを知ってもらいたいです。


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実習は怒涛のように続く。

その間にも、学費を稼ぐため、病院でのアルバイトをしていた。

仕事にも慣れてきて、夜勤もするようになった。
学校の休校に合わせて夜勤シフトを組んで貰っていた。


その日の夜勤で、ある患者さんが受診にこられた。




先生が、どうされましたか?と問うと、深刻な面持ちで、患者さん、


「応援していた高校が、負けて悔しゅうて寝れん!」




私と先生は爆笑。

その日は、夏の甲子園大会真っ最中。


良く良くお話を聞くこと30分あまり。

どうやら、そのかたの母校が例年になく上位まで勝ち上がってきて、いいところで強豪校に破れてしまったとのこと。


そうか、さぞかし思い入れが強かったんだなあと。


爆笑した自分をちょっぴりせめた。



傾聴すること。
これも看護の基本。


その患者さんは一人暮らし。話し相手もいなくて、先日千葉からの息子さん一家がお盆に合わせて、帰省されていたが、お盆の終わりに合わせて、千葉の自宅へと帰られたそう。


母校が負けたのも確かに悔しい。


だけど、それ以上に賑やかだった日々が、急に過ぎ去ったこと。



淋しかったんだろうな。



話をしおえた患者さんは少しだけ満足げに帰宅された。



体を看護するだけではダメ。

心のSOSにも耳を傾けなくては。ということを教えてくれた患者さんだった。


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産婦人科病棟の実習では、35歳の初産婦さんを受け持たせて頂いた。



物腰穏やかなひとで、ご主人も同様、優しい感じの素敵なご夫婦だった。


産婦人科での実習は、学生を受け入れて下さる方はほんとに希少価値。

いわゆる恥ずかしいことが先行して、なかなかお産に立ち会わせて貰えないことが多い。

その妊婦さんは、学生であるこんな私にまで気を配ってくださり、宜しく御願いします。と笑顔でにっこり。

いい感じで実習がスタートしたと思っていたのもつかの間、鬼のように厳しいと噂の指導者に、看護計画を突っ込まれまくりで、この先の産科実習が恐怖に変わった。


指導者曰く、「それなりの勉強してきてもらってないと、お産には立ち会わせないから。それくらいお産は大変な事だから。」



重々承知の上でございます。と、心で呟き、勉強した。
あの受け持つことを快く快諾してくれた優しい妊婦さんのために・・・


またまた試練が訪れた。
いくら計画を立案しても、産科実習だけは、患者さんの進行がリアルにわからないため、沢山のパターンを準備しなくてはならない。

実習二日目まではよかった。

陣痛が始まってからは、妊婦さんも産みの苦しみに耐えるのに大変。
私も、いつ産まれてくれるか分からないため、看護計画を立案すること3パターン。

いや、あたしの苦しみなんてたいしたことない。2日苦しんだ妊婦さんは、女の子を出産された。幸運にも、実習時間内でお産にも立ち会えた。

感動で我を忘れて号泣した。


「お名前はもう決めているんですか?」
と、私が聞くと、

「まだ実の両親にも教えてないんだけど、学生さん(私)にはお世話になってお産が乗り越えられたから、教えてあげるね。七つの海って書いて七海です。」

その神々しい笑顔は、多分一生忘れられない。


素敵な名前だなあと、感極まったところに、妊婦さんのご両親が面会に来られて、ご家族での時間を過ごされていた。

お母さまが、お世話になりましたと私にまで挨拶をしてくださって、一緒に写真に写って下さいと勧めてくださり、記念に写らせて頂き、今度は、私がご家族の記念に写真をおとりします!と言った直後。

やってしまった・・・・・・・


「七海ちゃんもにっこりですね!」



はい、名前はまだ誰にも話してないと言われてましたよね・・・


めちゃくちゃ変な空気(涙


もう、名前なんて聞いた自分が自己嫌悪で。(涙


その後私の様子を察知した、妊婦さんが笑顔で、「七海、名前覚えて貰ってよかったねえ。はい笑ってみんなで写ろー」

すごい人です。本当に今更ながら、母の偉大さをこれ程感じたことなかったかもしれません。

実習が終わってから少しして、学校に私宛のハガキが届いたと担任から手渡されたそこには、七海ちゃんとお母さんと私が写っていました。

まだ例の爆弾発言の前の満面の笑みで・・・
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