東日本大震災 被災者の皆様に心よりお見舞申し上げます
郵便物の「転送サービス」の期限は1年ですので避難・転居された方は
お近くの郵便局で「転送サービス」の期限の確認をオススメします
「神山友愛の里通信」全てお手製の
まさに「絆」です。
22日で東日本大震災から500日目。津波や原発事故の爪痕は、被災地に深く残されたままだ。それでも故郷の再生を願い、歩み続ける人たちがいる。
山里が広がる福島県南相馬市の神山地区。東京電力福島第一原発から十数キロで警戒区域に指定され、全34世帯が全国へ散らばった。
《皆さま、どこに、どのように、何をしてお出(い)でですか?》。そんな文言で始まる「神山友愛の里通信」が発行されたのは、昨年5月のことだ。
編集するのは元中学教諭、大友章生さん(74)。「仲間がどこに避難したか知りたい」。住民のつてを頼り、近況や連絡先を調べた。34世帯中、半分ほどの電話番号を創刊号に載せ、郵送した。
月1回、住民のメッセージや行政情報がA4判1枚の表裏にパソコンでびっしり打ち込まれている。8月号には全34世帯の連絡先がそろった。
離れ離れになった人たちは、故郷の存在を確認するように読みふけった。「みんなで会いたいね」と連絡を取り合うようになり、昨年末、20世帯35人が福島市郊外の温泉に集まった。
宴会場にはカラオケが用意されたが、誰もマイクを握らない。夢中で語り合った。夜がふけるころ、「故郷(ふるさと)」を歌いたいと声が上がり、合唱に。部屋に戻り、日付をまたいでも話は尽きなかった。
1月号に声が載った。《神山忘年会は大成功、とても懐かしく楽しかったです(富澤俊幸・幸江)》。富澤家は3世代6人が3カ所に分かれていた。
4月、警戒区域が見直された。南相馬市の借り上げ住宅で暮らす上野久美さん(44)は実家に戻り、言葉を失った。「家の中は震災後そのまま。ため息をつくしかなかった」。思いを連ねた手紙を大友さんに送り、5月号に掲載された。
《シ~ンと静まり返った神山 つつじは咲くのかな アジサイは? 何も手をつけず、戻って来ました》
通信の送り先は43カ所に及ぶ。15日付の最新号には中学生の文章を掲載した。「これからは子どもの声をたくさん載せたい」。大友さんは故郷を思う人たちの心をつなぐ。
この記事を読んだ時「絆」ってこういうことなんだな~と
あらためて知らされました
34世帯といえば 都会のマンションの1棟よりも少ないでしょうが
ここには世帯数だけでは語れない「絆」が存在していたんです
年々「希薄」と言われる人と人との関係ですが
まだまだ全国にはこういった「絆の匠」がいらっしゃるんですね
私も数年前から年賀状だけでもと思い少しづつ数を増やしていますが
この南相馬 神山地区の皆さんの「絆」はスゴイとしか
言いようがありません あらためて「人との出会い」の大切さを
教えられた気がします
一方ではこういった避難地区への行政の対応の遅さが
顕著にあらわれているのも事実ではないかと思います
もっと被災者に対して真摯な姿勢を見せて欲しいものです
今日は「絆の匠」に教えられました ありがとうございます
頑張れること一緒に探します
共に乗り越えよう 東北・東日本
それでは また m(_ _ )m 雅(MIYABI)でした