こんばんは 雅(MIYABI)です (o^-')b
帰宅が 3:30 それから除雪をして やっと落ち着きましたので
手元には もありますから 書きますか!
ナゼ?今年48歳が15歳の夏を回想するのか?
今年おそらく きっとドキドキワクワクな時間が来る予想をしてたら
今までイチバン ドキドキワクワクしたのって いつだろう?
そう思ったら 最初に思い浮かんだのが
「15歳 アメリカで過ごした夏」 でした
まあ~内容は「珍道中」なんですが
世の中に こんな15歳がアメリカで生活してた「回想日記」
書き始めたので 最後の帰国まで書きます(つもりです ・・・)
それでは 第一章 「全然 実感が無い 15歳」 スタートです!
第一章 「全然 実感の無い15歳」
高校一年の夏休み 1ヶ月 アメリカにホームステイする事になった
その2ヶ月前 ある日オカンが「今日 写真撮りに行くよ」
「何の写真だ?」
「パスポートのだから ちゃんとした所で撮らなきゃダメなんだよ」
「パスポートって 何だ?」
「アメリカに行く パスポートだよ」
正直 アメリカに行く実感も無いし 本当なのか?ぐらいに思い
完璧に半信半疑だったが 写真を撮り
その後 パスポートの申請の手続きをしたが
全く 実感は無かった 正直興味がなかったからだ
後日 パスポートを手渡された時 今でも憶えてるのは
何かわからないが ドキドキした
( しかし当時 税関を通るとか 何も知らないバカボンだった )
ホームステイはナゼか?オトンが「海外を見た方がいい」という
よくわからん見解から決定していたらしいが
その頃の私は 全く見当違いの意見で
「日本にいると 問題起こすからアメリカに出された」
そう思ってましたからね
そして 7月の23日?(だった気がします)
午前 10:00位に千歳空港に集合ということで
千歳空港にオカンと行きましたが
その時も 「千歳から海外なんか行けるわけがない」
そう思いながら 行くと
千歳には 全道からそのホームステイに行く家族が
大勢集まっていました
確か ・・・ 50名前後だった記憶があります
下は中学生から上は大学生?ぐらいまで
年齢は様々で ナゼか?皆目がキラキラしてました
そして 羽田に向かう搭乗手続きが始まりゲートを過ぎると
添乗員?の方と後は我々だけになり 搭乗開始まで
しばし待ち時間? まわりはすぐに自己紹介やら
行き先のアメリカの州の話をしていましたが ・・・
まだ実感がわかない私は とりあえず離れた場所で一服
隣のサラリーマンが私を何度も見ながら同僚に
「未成年だよな?絶対未成年だよな」と言っていましたが
かまわず 一服 戻るといきなり添乗員から!
「ここは まだいいけど 海外に行ったら荷物から離れると
30秒で無くなるから 自分の荷物は自分で管理して」
「ハーイ (なんだよ!説教かよババア!)」
そして ・・・
「アナタ タバコ臭いけど年いくつ?」
「15ですけど」
「タバコとライター出して」
その時言ったセリフは今でも憶えてる
「テメエ マッポ(警察)かよ!」
すぐさま 「いいから 出しなさい!」
ここで揉め事も面倒なのでポケットからタバコとライターを
出して 手渡した
その光景を皆見ていたので そこから私に話しかける奴は
誰もいなかったのは 書くまでもないが 記しておきます
羽田に着いて最初に驚いたのが「気温」だった
当時はボーディングブリッジではなくタラップから降りて
リムジンバスで空港ターミナルに行くスタイルだったので
外に出た瞬間「熱い空気」の壁がぶつかった様な感覚だった
同じ日本なのに ・・・ こんなに暑いのか?
それが不思議でしょうがなかったのを憶えてる
空港からリムジンバスで行った先は「代々木オリンピックセンター」
現在 画像を探したら こんなカンジなんですが
当時はもっと ・・・ ガサイけどデカイ建物で
とにかく広いのにビックリしました
バスを降りると ここから先は「州単位」の行動らしく
私が行くコネチカット州の仲間?との行動になりました
当然 宿泊の部屋もそうなんですが
ここで1泊2日の「事前研修」が行われました
書き出した時は 今日は「成田」までと思ってたんですが
またくだらないネタ?を思い出しましたので
それは次回に!
次回 第二章 「成田から出国」 です
それでは また m(_ _ )m 雅(MIYABI)でした