東日本大震災 被災者の皆様に心よりお見舞申し上げます







風雅ー風の吹くまま 気の向くまま




新しい支援 「企業ロゴ」で

操業再開! 岩手から 


東日本大震災で被災した漁師に企業が支援金を贈り、漁師は漁船にその企業のロゴを貼って感謝の気持ちを表す――。そんなプロジェクトが岩手で動き出した。この仕組みを使って、すでに4隻が三陸沿岸で漁を再開した。





 企画したのは盛岡市の合同会社「ADBOAT JAPAN」。同市で靴店を営む菅原誠さん(37)や岩手県大船渡市の漁師らで作った。

 震災後に代表の菅原さんのもとには、イタリアの取引先などから多くの義援金が寄せられた。岩手県や赤十字に届けたが、「どう生かされたのか見えず、歯がゆかった」。

 被災地に靴を届ける活動を続ける中で、菅原さんは大船渡市で漁船を失った漁師と知り合った。同じ岩手県といっても、沿岸部と盛岡市では別世界。酒を酌み交わし、漁師たちの本音を聞いた。国は漁船や漁具の共同利用を促す事業を推し進めているが、漁師は自前の船で漁に出たいと強く願っていることを知った。


 そこで、漁船に広告を掲示し、支援したい企業と、支援を求める漁師をつなぐ方法を考えついた。「まずは漁師を元気にしないと復興はできない。目に見える形で漁師を直接支援したかった」。企画が報道されて船のロゴが映れば、企業の広告にもなるとみる。


 現在この仕組みで漁を再開した3隻の漁船が活躍するのが、大船渡市の小石浜地区。ホタテ養殖が盛んな地域だが、津波で50隻の漁船のうち46隻が使えなくなった。海中にはガレキが重なり、岸壁は約80センチ沈下した。それでも20軒の漁師ほぼ全員が再開を目指し、復旧に力を合わせている。

 小石浜で「ロゴ漁船第1号」となったのは、養殖組合ホタテ部長を務める佐々木淳さん(40)。個人からの支援金を元に、11月、白地に青で「ADBOAT」と書かれた船を沖へ出した。漁師にとって漁船は相棒であり、分身みたいなもの。だから「貼ることに抵抗がなかったわけじゃない」という。でも、困り果てた自分たちに手を差しのべてくれることがうれしくて、決断した。

 心配した仲間の反応は、思いがけず好評で、さらに2隻も加わった。今秋にはホタテを収穫できそうだという。まずは支援を寄せてくれた人に送る予定だ。佐々木さんは言う。「つらいことばかりだけれど、震災がなければこの出会いもなかったよね」


 東京・銀座で洋服直し店「SARTO」を経営する檀正也さん(49)は、広告主の一人。昨年7月には小石浜で漁船を失った漁師の話を聞いた。「自分に置き換えるとミシンがないということ。仕事の道具がなくなるのはつらい」。このほか、岡山県の衣料品メーカーや、千葉県のウエディングレストランなどからも支援が寄せられた。

 菅原さんらは、25日に東京ビッグサイト(東京都江東区)で始まったイベントに参加し、支援を呼びかけている。今後は宮城や福島にも活動を広げたいという。企業の支援は10万円からで、F1のレーシングカーのように金額によって広告の面積が変わる。個人は1万円と2万円の2タイプがあり、いずれも契約は1年間。問い合わせはメール(info@adboatjapan.com )へ。




今まで漁船には命名された船の名前だけでしたが

今回は支援してくれた企業のロゴを船体に貼り出しての操業再開です

簡単に言えば F-Ⅰマシンに出資しているいわゆるスポンサーと

一緒です 支援してくれるお礼に船体には大きな企業名が

貼り出されていくわけです



それにしても 深い言葉ですよね


「辛い事ばかりだけど 震災が無ければこの出会いも無かった」


辛いのにこの言葉が出るってスゴイし 意味合いがとにかく深い!

操業再開は「始めの一歩」 ですから

早く軌道に乗ればいいですね





ガンバレ 岩手!






頑張れること一緒に探します

共に乗り越えよう 東北・東日本 








それでは  また  m(_ _ )m