新しい会社に入り、
サロン立ち上げから関わりました。
オーナーがお金持ちなので、
上本町で隠れ家的な高級サロン風で、
階段を少し昇るんですけど、
そこに施術者の写真をバン❗と掲げて、
まるでホストクラブでご指名を取りたくなるような作りになりました。
そして、お客様もとてもお金のある方々で、
大阪府医師会理事の方等は、
よく食事にスタッフ全員連れていってくれるのですけど、
看板のない料亭に「ここは、この前知事と来たんだ」と言いながら連れていってくれました。
男性スタッフは、沖釣りまで連れていって貰ってました。(女性スタッフは私だけでしたが、沖釣りは船酔いするのでさすがにパスして貰いました。)
他に、眼科医のご家族がおられて、
家族全員で私を指名してくれるご家族がいましたが、
眼科ドクターは、着替えているときに、
必ずパンツ一丁になったところで、カーテンから出てきて、
「ワシはこうやって毎日患者さんを診てるんだ」と、いかに疲れるポーズなのか教えてくださるんですけど、
毎回、話が「このポーズ❗」と盛り上がるときに、
丁度パンツ一丁になったところなので、
毎回、パンツ一丁の眼科医ポーズを見せて頂いていました。😅
(後に、この眼科医が亡くなられて、娘様が嵐山まで私を訪ねてきてくださって、昔話をした時に、この話をしたら、娘様も神妙な表情で聞いて下さいました。)😅
お母様のほうが、一番熱心に通って下さって、
遠いのにわざわざ上本町まで電車に乗ってきて下さるのは何故か聞いてみたら、
やはり、ドクターの奥様なので、地元では「顔をさす」という話をしておられたので、
隠れ家という作りは、本当に必要なんだな~と思いました。
さて、指名もついていましたが、
私は本当にお金が無かったので、
とにかく一生懸命働いて、お客様がリピートしてくれるように頑張っていました。
二点療法も習い始めですから、技術はまだありません。
とにかく、一生懸命施術するのが私のスタイルでした。
一生懸命を好んで下さる方はとても多かったです。
その頃は、1人暮らしで、完全歩合制で、給料は、手取り16万位だったんじゃないでしょうか?
そこから、45000円の家賃を払い、
光熱費を払い、住民税なども払い、
二点療法の研修費は、一回22000円、
そして、将来の開業の為の貯金もしなければなりません。
食費を減らすしかないので、お米を買ったら、
後は、1日200円生活をしていました。
気功の勉強もしたかったのですが、
通えないので、その頃流行っていた、
西野流呼吸法のビデオを買って、
由美かおるの見本のビデオを見ながら、呼吸法をやってみたりしていました。
ある日、患者さんの腕の所に手をもっていくと、
触ってないのに、ビリビリビリビリ~❗っと電気が走りました。
ビックリして、その場所から手をずらすと治まります、
もう一度そこに手をかざすと、また、ビリビリビリビリビリビリ~と来ます、
ビックリしてたら、触ってないのに、お客さんも何が気が付いたのか、
「この腕は手術してるんです」と仰いました。
私は驚いて、「えー❗こんなに激しく感じるものなんだ❗」と衝撃を覚えました。
その頃から咳が激しくなり、
私は「こんな見よう見まねで気功なんかするのは止めよう、体がいくつあっても足らんわ」
と思って、ちゃんとした先生につくまでは、
気功は止めることにしました。
しかし、時既に遅し、私の咳はとっても酷くなり、
ある日、朝目が覚めて、ベッドから起きようとしてもおきれません、
あれ?と思って起きようとするのですが、
体がうごかないのです、???
と思っていたら、脇腹に激痛が走りました。
「肋骨がまさか折れてる⁉️」
ウソだろー、肋骨折れてるかも⁉️でも、朝のお目覚めトイレに行きたい❗どうしょう❗
しばらく、少しずつ体を動かしていたら、何とか、這いつくばるようにトイレにいけました。
そして、慣れてきて、歩けるようになったので、
病院でレントゲンを撮ってもらうと、
しっかり折れていました。
しばらく安静にするように言われました。
えー❗お金も無いのに働けないなんて❗
私はどうしたらいいんだろう⁉️
つづく
幸地みなこ
古都治療院
嵐山のラドン吸入
びわきゅう