家族の眠る押上の春慶寺では、200人の檀家さんが集まり、大法要のお手伝いをさせていただきました。ご住職ご夫妻は、大変、御心が広く暖かく、また、大切な人を失った家族のために、お彼岸、お盆の供養の際に、奥様手作りの精進料理と、素敵な催しをなさって下さいます。今回の秋の法要は、男性4人によるコーラスグループの歌声でした
私は、皆様のお昼御飯のお手伝いをさせていただき、鑑賞する暇はありませんでした。^_^;
され、寛文7年(1667年)に浅草から本所押上村に移転、現在 まで約四百年の歴
史を持つ由緒あるお寺です。
江戸時代から「押上の普賢さま」と称され、特に辰年、巳年守り本尊として多く
の参詣人で賑わっています。当時の隆盛ぶりは、「東都歳時記」や「武 江年
表」等で再三紹介されています。また、天明(1781~89年)の頃に活躍した浮世
絵師勝川春潮の「押上村行楽」という浮世絵には、石の道標 に「押上村」「普
賢菩薩」という文字が見られ、押上村の春慶寺に“お参りに行く”ことが人々の大
きな楽しみであったことがうかがえます。
現在、境内には「鶴屋南北の墓」や「関東俳優之碑」が残っています。震災や大
戦による災禍もあって一時、寺運が衰え、昭和58年、奇特な信者の寄 進と役員
の努力により再興。 http://www.syunkeiji.jp/html/syunkeiji.html
史を持つ由緒あるお寺です。
江戸時代から「押上の普賢さま」と称され、特に辰年、
の参詣人で賑わっています。当時の隆盛ぶりは、「東都歳時記」
表」等で再三紹介されています。また、天明(1781~89年)
絵師勝川春潮の「押上村行楽」という浮世絵には、石の道標 に「押上村」「普
賢菩薩」という文字が見られ、押上村の春慶寺に“お参りに行く”
きな楽しみであったことがうかがえます。
現在、境内には「鶴屋南北の墓」や「関東俳優之碑」
戦による災禍もあって一時、寺運が衰え、昭和58年、
の努力により再興。 http://www.syunkeiji.jp/html/
お隣は、名物のお稲荷屋さん。浅草通りを隔ててスカイツリーがそびえています。











