久し振りにブログを書きます。
私の退職は2回。1回目はバブルの
弾けた年、1992年、新卒初年度です。
4月入社で3ヶ月研修で石川県小松市で
研修。その間にバブルが弾け、7月に
赴任先の神戸に出社したのはいいものの
新人に回す仕事はなく毎日新人のみで
テーマも教本もなく座学。退職届を出した
のは12月、千葉だったので6ヶ月で転勤2回
業務なしの座学の毎日でした。
何もしないで給料貰えて最高じゃん
と思う人もいるかもしれないけどSEで入社
して実務経験&社会人経験なしで職歴を
積んでしまったら転職もままならないし
何より毎日社会から存在価値なし!と
言われに出社するのは私にとっては地獄
でした。
会社からすれば「会社都合」の退職を
回避して何とか「自己都合」で退職さす
ための転勤&閑職でした。
退職の意思を伝えたあとの手続きは
その場を逃してなるものかと
退職届の書き方&便箋、封筒...
速攻で出てきてすぐに書かされました。
で有休もまだ発生しない新人ということも
ありそのまま退職。あとあとの書類は
実家に帰ってからした感じでした。
その時の自分の心情というと
とにかく情けなく、悔しく、怒り
というよりは悔しさが大きかったです。
でその日は品プリ泊まりホテル内の
ボーリング場で腕ちぎれそうになる
くらいひとり5ゲーム黙々と球投げて
翌日はディズニーランドに行って
とにかく惨めさを自分に焼き付けて
次は仕事を作れる営業職で仕事を探す
ことになりました。
私のような目に遭った同期や先輩は
たくさんいたのでユニオンに駆け込み
地位、待遇改善に戦う人、会社に
殴り込みに行った人、色々いました
が一度壊れた関係性の中で働くのは
難しくダメージが深くなる人ばかり
でした。
私的にはおかしな会社、バブルが
弾けて変わったもとはいい会社
かもしれないけどやられた仕打ちは
忘れてないし今でも呪ってるけど
そんなクソ会社に人生まで潰される
筋合いないし、絶対次は必要とされ
ながら辞めてやる!って思ったのを
覚えてます。
結論、ろくでもない会社には心乱される
こと自体が不愉快。とっとと辞めて
他人がいいといってくれる自分自身を
ダークサイドに落ちてなくしてしまう前に
過去にして前に進むのがベストで
まわりの同期もさっさと辞めて転職してる
ほうが皆幸せにその後の人生を
生きてます。
次回は2回目の退職、日本の会社と
外資の違いを軸に明日書いてみます。