そこにまだ「好き」という気持ちを感じたから | 仕事と趣味と時々片想い…

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私は超能力者じゃないから、自分の気持ち以外は
わかりません。下手したら自分の気持ちすら
わかってないと思います。

だから自分以外の人が受けた心の傷や
それが誰のどのような行動や言動で受けた
ものなのかも当事者ではないからわかりません。
わかるよなんて上から目線で決して言えません。

ただその出来事を衝動に駆られて公にしないで
なんとか自分の心の炎を沈静化して済ませよう
としてくれていることを私は感じました。

そして現在起こっている状況をひとつひとつ
私がそのファンを見て今まで感じてきたこと、
交流してきたことでの印象と「裏ルール」という
言葉から「もしかしたら」そこに
誤解や違和感があったのかもしれないと
私自身が想像して先のブログを書きました。

もちろん真実かどうかはわかりません。
今苦しんでいるファンの心の内を想像して
一般論として書くことで私の知る由もない
その傷が私のつづった内容と重なる部分が
あって、もしかしたら「勘違いだったんだ」
と繋がる可能性があると感じたからです。

私が見て感じていたそのファンの杏璃さんを「好き」
という気持ちは純粋で自分のそれと変わらない
と感じていたから、その中で「もしも」気づきがなくて、
誤解があってその「好き」が雲ってしまっているのなら
そんな不幸なことはない.....

と思って私の中にあるファンと芸能人との関係性を
一般論的に書いてみました。なぜならまだその私が
感じていた「好き」という気持ちが残っていると
私は感じたからです。

そしてその「好き」がまだ私の想像の中だけでなく
そのファンの心に本当に残っているとしたなら
その気持ちを大事にしてその心の炎を飲み込むことが
ひとりの人として出来ないものだろうか?と私は
思いました。これは私の願望だけでしかありません。

もしどうしてもそうはできないくらい深い傷が今
残ってしまっているのなら私はこれ以上なにも
言えないし、私の存在がその心の炎を燃やしてしまう
薪になってしまうだろうから私は認識できる形でない
誰も確認できないファンとしてこの先生きていこうと
思って覚悟を持って先のブログを書きました。

私はただ長くファンをしているだけで、その中では
いつもまともに話もできないし、いつまでも敬語でしか
会話は出来ないし、してもらえないし、杏璃さんから
あだ名で呼んで貰ったことは一回もないし、いつも
イベントで気さくに話せてて杏璃さんを笑顔に変えている
ファンを見ると「いいなぁー」って思ってるただのファンです。

もし私の杏璃さんとのファンとしての関係性をそんな
感じてくれているのなら、それもそのファンの想像の中の私で
私の中の私のファン像とはまったく違っているのです。

たぶん私が感じた杏璃さんに対しての「好き」
という気持ちが私のそれと同じだ、って私が感じて
いなかったら私は先のブログも無理して書いたり
しませんでした。想いが届いて昔みたいに杏璃さんの
好きなところを話できたらいいなと思って書きました。

そしていろんな関係性の中で杏璃さん自身ができる
範囲の中でもしファンとの交流する手段が人を傷つけて
しまうきっかけになってしまうのならそのひとりのファン
に対して対処するのでなくその手段自体を放棄すると
私は思ってます。それがたとえ自分の活動のマイナス
になることだったとしても....。

私の目に映ってきた杏璃さんはそういう人です。