東京都西東京市のひばりヶ丘にある「みむら矯正歯科」の院長 三村です。

ブログですので、思いつくままに私が何故矯正歯科を志したかを書いてみたいと思います。

私は長野県松本市で生まれ育ちました。
私の生まれる1年前に、自宅の前の女鳥羽川が台風で氾濫して、松本市街に大きな被害をもたらしました。城下町である松本市内を流れる女鳥羽川は、松本城の外堀の役目をもたせるために人工的に90度カーブするように流路を変更されたそうです。市内を流れる川のため川幅の拡幅はできず、川底を深くして反乱を防ぐ工事が、私が幼稚園児の頃には毎日のように行われていました。
三村家はちょうど女鳥羽川の湾曲部に面しており、家の前で工事が行われていたため、幼いころの私はブルドーザーとパワーショベルに夢中になりました。
「幼稚園から帰ると鞄を放り投げて、一日中工事現場を眺めていた。この子は将来どうなるのだろうかと心配した。」と亡き母からはさんざん聞かされました。思えばその頃から、スクラップとビルドに興味を持ち始めた気がします。
また、私の叔父は建築士で建造物に関しての興味も叔父から植え付けられたように思います。私は何かを作りあげることが幼少期から好きだったのだと思います。

小学校の低学年の頃に、砂利道を自転車で勢いよく走っていて、転倒し、しこたま顔面をぶつけたことがありました。そのときに上あごの前歯2本も強打したため、2本の接触点の一部が欠けてしまいました。
(当然、今でも真ん中の前歯は欠けていますので、達人の歯科医師にお願いし、虫歯の充填材料を築盛していますショック!
その頃は前歯は永久歯でしたが、側方歯は乳歯の混合歯列だったはずです。
歯科医師だった親父には、「生え替わらない永久歯を欠いてくるなんて!」とずいぶん怒られた記憶があります。この永久歯の外傷で、歯の正しい接触関係が失われ、自らが不正咬合になるとは当時は知る由もありませんでした。
その頃には、私は自宅で歯科医院を開業していた父親の仕事に興味を持っていました。石膏で歯型を作ったり、その上にワックスで人工歯を作り、鋳造をするというような作業工程に興味を持ちました。昭和40年代には虫歯が氾濫していたため、診療時間外にリビングでくつろいでいても父親は急患が来ると患者さんを診ていました。そのため小学生ながらも、父親は患者さんから感謝されているらしいとわかり、「歯医者になろうかな?」とも思い始めました。親父は「手先が器用な方が歯医者になるには都合が良い」という独自の理論から私の欲しがるプラモデルは買い与えてくれました。

中学生になり、永久歯がすべて揃った頃に、吹奏楽部に入り、トランペットを吹きはじめました。
頬筋を使ってマウスピースを吹くため、歯列は狭くなり、欠けていた中切歯を初めとして前歯に凸凹が出始めました。さらには上下前歯が唇側に傾斜し、口元が出っ張ってきました。
Musician malocclusion(管楽器奏者特有の不正咬合)を地でいった感じでしょうか。

漠然と自分の進路を考えていた高校生の時に、父親がガンで入院し、私が大学浪人をしていたときに他界しました。
最後の言葉が「歯学部に行け!」でした。高校生にありがちの親に対する反発は父親を亡くしたことで無くなり、「自分は歯科医師になるべく生まれてきた」と考えるようになりました。

自分の不正咬合を理解して、「この口腔内環境を治すためには、まず矯正歯科治療をするしかない」と理解したのは、大学の歯学部学生の臨床実習を行っていたときです。
今にして思うとinterdisciplinary approach(他分野にまたがる歯科治療)を自らの症例で理解したということになります。
自分が不正咬合でなければ矯正歯科医にはなっていなかっただろうし、大学院で歯科矯正学を志した後も、志望動機がはっきりしていたため、多少の困難は乗り越えてくることができました。

ずいぶんたった今も、私は子供の時にブルドーザーを眺めていたことを昨日のことのように思いだします。そしてもう一つ思うのは、もう他界してしまった父や母がぼくの将来を心配していてくれた気持ちについてです。それは、今この診療所に矯正治療のため通ってきている子供さん達に対する親御さんの愛情と同じなのだろうと思うのです。


お子さんの歯の矯正をしてやろうと思うと、何回も忙しい時間を割かないとなりませんし、お金もかかります。今は何とも思っていなくても子供さんが大人になった時、いつか「きれいな歯並び」でよかったと喜べるように、親御さんのご期待にそえるよう一生懸命に努力を続けていくつもりです。


最近は大人になって矯正を始める人もずい分増えてきました。
健康で清潔な笑顔に向かってチャレンジされている成人患者さんを、私は尊敬していますし、全力で応援したいと思います。
当院で働いているスタッフは、その多くがやはり矯正歯科治療を受けた経験をもっています。矯正歯科治療のためには長期間にわたって通院していただくことになりますが、その間ちょっとしたことでも、共感を持ってサポートさせていただけるよう全員で努めてまいります。

長文になりましたm(_ _)m