昨日は、三島由紀夫の命日でした。 | 21世紀のケインジアンのブログ

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以前、三島由紀夫事件について書いたことがありましたが、未だに、アクセスがあるので、再掲してみます。

 

三島由紀夫の「首が胴体から離れた日」

 

常日頃、私の評価が極めて低い読売新聞であるが、その中で唯一、私が楽しみにしている連載がある「昭和時代」である。

 

 戦後の大きな事件や出来事を当時の新聞や雑誌などを引用しつつ、文化欄1面全部を使って、毎週土曜日に掲載されている。遙か昔の戦後の大きな事件や出来事の息づかいが、リアルタイムの新聞・雑誌で取り上げるくらい詳しく書かれていて臨場感さえある。

 
 昭和20年代から始まり、昭和30年代と続き、現在は昭和40年代である。また、この連載は当初から単行本化される予定で始まり、既に一部は読売グループの出版社から単行本として発売されている。

 
 先月、取り上げられていたノーベル文学賞最有力候補作家・三島由紀夫の自衛隊市ヶ谷駐屯地への乱入の後の割腹自殺事件は昭和史に残る衝撃的な事件であるが、大変読み応えがあり、何度も読み返した。私にとって、この事件は、子ども心にも強烈な印象があり、以前のブログでも触れている。

http://ameblo.jp/mimura1982/entry-11065217835.html

 

 全てを紹介することはできない(ご興味のおありの方は単行本でお読みください)が、2つ印象に残ったエピソードがある。

 
 一つは、ノーベル文学賞にまつわるエピソードである。

三島の名前がノーベル文学賞の有力候補として外電経由で日本のメディアに報じられたのが1965年。しかし、1968年、日本人初のノーベル文学賞に決まったのは、川端康成だった。川端は三島が文壇に出るきっかけをつくった人物である一方、川端は三島にノーベル賞への推薦文を依頼している関係にあった。

 

 川端にノーベル賞が決まったことに対する三島の思いはかなり複雑だったようだ。三島はこんな言葉を残している。「もし、川端が取らなくて俺が取っていたら、日本の年功序列はがたがたになったのになあ。そして、こう付け加えた。次に日本人がもらうとしたら、俺じゃなくて大江(健三郎)だよ」。その予言は26年後に的中する。

 
 もう一つのエピソードは、三島と18年交流があった歌手の美輪明宏さんの証言である。

 「一つの結果は、一つの要因だけじゃなく、多くの要因が重なって、一つの結果になる。天才の心象風景は、凡人に推し量れるものじゃありませんが、虚弱体質で運動が苦手、学習院でいじめられたコンプレックスはずっとあった。最期は、男らしいってのはこういうものだよっていう気持ちもあったと思います」。

 三島の自決は永遠の謎ではあるが、この美輪明宏さんの証言は、私がいままで聞いたなかで一番そうだなとうなづけるものである。