主治医には内緒だが(笑)


言いつけ通りに
お酒を控えようとした矢先に


寒くなって来た。



これはまずい(笑)



ビールではアルコール濃度を調整するわけにもいかず


そうだ、
あの焼酎があった、と

寒い夜にはお湯割りで。


お取引先の社長さんの
奥様のご実家と伺いましたが


天草酒造さんの、

「あまくさ 古酒」

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この焼酎は素晴らしい。

さほどでもない焼酎の場合は、
お水やお湯で薄めた場合には

当然、「薄めた」なりの味がするんだけど


この焼酎は、

実にまろやかにお水やお湯に馴染む。


この馴染んだ味がまた、実に
優しく五臓六腑をなでてくれる。


焼酎は世界に誇る
ジャパニーズ・スピリットだけども


これは「薄めて飲む」感覚ではなく



まろやかにして味わいのある、
そのためにお水やお湯をを配合する感じ。



この焼酎はとてもとてもお勧めなんですが、もしかしたらネットでは買えないのかも知れませんが、その場合はご容赦ください。



寒くなってあれだけ好きなビールを
遠ざけることができるかなと思ったけど


現実は厳しい。


そう
主治医には伝えておこう(笑)




天草酒造さん☟
http://ikenotsuyu.com/staticpages/index.php/product

その昔、
アメリカはデューク大學でライン博士が
指導する心理学者のグループが


人間の「念」には力があるか

という実権を行いました。





実験方法は、
人間の手で細工が行われないように
直接サイコロを触れないような機械を考案して行われました。




この時、実験者は
「ある数」の面が出るように
ひたすら心を集中させながら


あらゆる偶然を避けるために


機械やサイコロから遠く離れたところに立っていました。





1934年の実験開始以来、
この実験は20年間続けられました。



その間、
なんと数百万回というサイコロ実験を重ねたそうです。



つまり、
偶然性などを一切排除した
客観的な数値を求め続けたということです。


そしてその間、
つねに(普通の)人間が「ある数」の面を思い続けて実験は行われました。




その実績を見て
ライン博士は次のように語りました。




「実験を行う人は
サイコロにまったくの物理的接触を
与えないでサイコロの数字を左右することができる、

というしか他に説明のしようがない」





過去にはこの他にも


同じようなサイコロの目を
念じた力で特定の数字を
考えられない連続性で出すことが
(普通の)人間の力で可能である、
ということを


何度も違う実験で立証しています。



科学が進めば進むほど
人間には視えないものが
おざなりにされていく。


東洋ではごく自然な当たり前に
数千年間で培ってきた現象である
「気」とか「念」とかが



西洋文明がたまたま隆盛を迎えたこの局面で、また一から必死に証明しようとしてきた。



「念じる」
この力を普段から当たり前に信じている人とそうでない人の人生には
計り知れない差がつくだろう。




それでも
不安や弱気が
一瞬でも風の如く吹けば
なにごともなかったかのような



そんな
もろくて
哀しいものだけども。

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ぼくがこの世に生きてきて
なんと残念なことかと思うのが
ぼくの「記憶力」なのだ。


これは若い頃からひどかった。



記憶力さえもう少しだけでも良かったら、まだすこしはマシな仕事をしたのではないかと




無能を記憶力のせいにもしてみた(笑)




それにしても
若い時ならいざ知らず
私の周りを見渡してもメモ魔が少ない。




その時は覚えられるつもりなのか、
いや、覚えてはいるけどそのうちに失念して仕事には結びつかない



という人が
多いような氣がらしてならない。


自分のことは気持ちよく棚に上げての話だが(笑)




出版業界の雄である
冬幻舎の見城徹氏は徹底している。




相当の記憶力の持ち主だった見城徹氏も、寄る年波には勝てず覚えられなくなる。




そこで彼は相当な悔しさを覚えたという。


私のように嘆くだけでは終わらないのだ。



彼は何もかもメモを取るようにした。


メモを取りまくる以外に解決策はない、と。


ふと浮かんだアイディア、
誰かとした約束ごと、
本や映画、
コンサートの感想、
指示したこと、すること。


それらを書き留めた手帳は
当然びっしりといっぱいになる。




見城徹氏は、そのびっしりと書き込まれた手帳を一日に何度も読み返す、
という。



朝起きてー見る。
会社に着いてー見る。
来客が帰るとー見る。

で、またメモをする。



メモー見るーメモー見るーメモ

の繰り返しだそうだ。




見城氏は手帳をトイレにも持っていく。部屋に帰るまでに思いついたことを忘れないようにするためだ。



不眠症の見城氏は、
夜中に思いついたことも「かならず起き上がって」メモをする。


彼はこう書く。




僕もかなり小まめにメモを取り始めて思ったことがある。


「もっと前から、そうすべきだった」という事だ。



メモを取らなかったことで忘れてしまった中に、いいアイディアがいくつもあったに違いないーそう見城氏は言う。


メモこそすべてのビジネスマンの基本法であるまいか、と。



私の周りはあまりメモを取らない。
僕の言うメモを取る、というのはメモ魔のことだ。

セミナーなどでノートは取ろうとするのだが、日頃に手帳はあまりひらかない。
せいぜい、スケジュールのために手帳を開くぐらいだ。



私も取るようにはしていたつもりだが
それに今ごろ気づくぐらいだから



そういう……




ことだ。

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昨日は休みでしたので
愚友にして、なまぐさ禅師である
遊庵ひでに教えを乞うて



半日ほど蕎麦を打っておりました。
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女性にはあまり理解されないが
人生の甘い辛いかゆいをわきまえた
男にとって「蕎麦を打つ」というのは


ひとつの「M的修行願望」に近いものがあるのだ。




前々からひで禅師とは

「もも、ヒザ3年、 蕎麦8年」


そろそろワシらもこの世の凡事を磨くためにも蕎麦など打たねばならぬではないですか」


と、言って固く契りを交わしたのが
わずか、二十日ほど前のことであった。



その間、
ワシはある先生の蕎麦打ち教室に出向き、散々な思いをしてしまい、
前途を悲観してパンツを履き替えるのも嫌になるくらいに絶望の淵に落とされてしまったのだ。



しかして、ひで禅師は
いっさいの師と仰ぐ他者を排し


自らの書籍と画像と
強靭なるセンスと精神力
そして、抜群の猥雑さでもって


独学で蕎麦打ちのスタイルを
身につけたのである。
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これは
かなりのものであるとしか
言いようがない。
天晴れな生き方である。




だいたいの蕎麦打ちの最初は、




そんな簡単に打てたら苦労はせんよ、


蕎麦を打つなどと軽々しく言えなくなるよ、


まぁ、二年か三年は黙っておきなさい




などと言われるのだそうだ。


だから、習う方もそんな簡単には打てるわけがない、と最初から「遠い道」を自覚させられるところから始まるのだ。




しかし、ひでさんは凄い。


蕎麦打ちがナンボのもんじゃ。

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とにかく一切のマイナス感情を排して、徹底的にコツとポイントを探りにさぐった。




もちろん、蕎麦打ちを馬鹿にしているのではない。


「しょせんは蕎麦打ちよ」

と気軽に挑戦したのだ。



これは、やったことの、ある人から見たらとてもとても思いつかないスタートなのだ。




もちろん、
彼はそのあとに確実にやってくるであろう


「されど 蕎麦打ち」


という奥の深さを理解しての



「あえて 作戦」

なのだと思う。




結果的には


習うより慣れろ



という馴染み方が素早く彼の力となり
驚異的な蕎麦打ち術を身につけたのだ。




それは、未熟ながらも
独学四回目で十割蕎麦を打つ、


という無謀かつ驚異的な行動へと
駒を進めたことに見られる。




習うより慣れろ。

習うより遊べ。




ワシらも仕事において
最初のフィールドというのは



ねばならない!
べきだ!べきだ!


で力みともに悲壮感やら責任感やら分からないものに金縛りにあうことがあるけども



もっと慣れるようにしてしまうことだ。その方が力みかえって慎重になる人間よりも何倍も吸収力が違う。



大変なことに挑む、
という前提が常にあると
心の線は硬くなり
柔軟性を持てなくなる。




「たかが」
は、私たちに若さを呼び戻す。



謙虚に、
美学を忘れない
「たかが」



「されど」を
愉しみに受け止める気持ち。




いい「たかが」を見せてもらった。
ありがとう。

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手帳の選び方はつくづく難しい。



みなさんも今までに試行錯誤しながら、最後には慣れて落ち着いていることでしょう。


まさか、銀行か業界でもらった手帳をそのまま使っておらんでしょうな(笑)それでは書き込む情報量や意欲がダメだろうに。




ぼくも昔はあれやこれや使ってみたけど、「どれも帯に短しタスキに長し」でした。




しかし、そんなことで迷ってるのもバカバカしい。




帯に短し、タスキに長し、だけど
命短し 恋せよ乙女、なのだ。





私が長年使っている手帳は

カバーの中に2冊のブックが入っておる。



一冊は年間カレンダーであり、
一冊はメモを書きまくるものだ。

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これは機能的でとても素晴らしい。



メモの方は書きまくるために、
私は普通の手帳では足りなくなる。
なので薄くて軽量なのだが、書き終えるとどんどん入れ替えていく。




普通の手帳だと、年間の初めの頃の記入した覚えやメモまでずっと書き残したままで余白が無くなるから機能的ではない。



その点、これは入れ替え制なので、
古い記入とともに以前のブックは机の中に収めておく。

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カレンダーのスケジュールは、
断然にひと月分がひと目で分かるのがいい。



スケジュールが混み合ってくるから、
自分の時間や前もって準備に当てたい日程を計算してスケジュールを入れていく。




のが、理想(笑)




実際は、空いた日程をみんなに奪い取られるように入れられていく(笑)




手帳が素晴らしくても
スケジューリングの能力は別。

という典型的な男である(笑)




残念っ(笑)