義母が亡くなった。
小さい時から苦労ばかりの母だった。
6年前に亭主に先立たれ
二年半前には頼みの娘が
こともあろうことか逝ってしまう。
失意のうちに晩年には
入退院を繰り返して最期は
あっという間に亭主と娘のところに
逝ってしまった。
昨晩、葬式の後に近い親族だけで
食事会をした。
その後、
私の長男はそそくさと家路に着いたが
「あの」飲むと終わらない次男を連れて、ちいさな隠れ家のJAZZのお店に
シングルモルトを飲みに連れて行った。
そのお店はJAZZとお酒の隠れ家なのに、煙草を吸う時だけは隠れ家から出て、身を潜めてライターをつけなくてはならない。
この季節は、
夜風が辛くて辛くて哀しい。
煙草の煙なのか
吐く息が白いのか分からないくらいに
寒い。
アイラのシングルモルトの話を
してやった。いい加減に飲むんじゃないよ、と次男に教えてやった。
これはどうですか、と
マスターが持ってきたのは
アイラのシングルモルトではないが、
スコットランドのスカイ地方のシングルモルトだった。
粋がって頼んだのはいいけれど、
口を近づけるたびにその薬品くささにのけぞらなければならなかった。
とてもよくできた義母だった。
いつも朗らかで芯の強い人だった。
娘の絶望的な診断を伝える時も、
いつも「ああ、そうですか」とだけ
短く悲しみを押し殺して答える人だった。
派手なこともできず、
几帳面にただ真面目に生きてきた
この女性の人生のささやかな誇りが
婿の会社が長く続く老舗であったと
死後に聞かされた。
マスターが、話の合間に
レモンハートの75.5という度数の
ラムをテーブルに出してきた。
うまいのである。
こくがあるし、度数の強さなど
感じないのだ。
これを飲んで息子と僕は
振りがついた。
そのあと、
このJAZZのお店を含めて四軒を
ハシゴして回った。
最初の食事会でかなりのビールを飲んでた僕は、二軒目のJAZZのレモンハートでしたたかに酔ってしまいそうだった。
それ以降は、
カブロさん、
ブロッサムさん、
ブギーバンズくん。
みんな、声高に親父に話をする息子に苦笑しながら温かく迎えてくれた。
夜中の二時半過ぎ、
僕はついにギブアップ宣言をして
お店から帰ることにした。
息子は残念そうな顔で、
僕にハイタッチのような握手のような
手を差し出して別れを告げた。
また、最後は息子のご馳走になってしまった。
大学生の息子に。
義母はこの孫たちの成長が
なによりの楽しみだった。
福山に帰ってくるのを
いつも楽しみに待っていた。
今度は孫が二人とも帰ってきて
義母を励まそうとスケジュールを
調整していた。
その、ほんの一週間前に
日本の母親の典型である
優しい穏やかな女性は逝ってしまった。
みんなで顔を揃えたのは
彼女の別れのためだった。
ありがとうございました。


