昨晩は、宮崎博・司兄弟のヴァイオリン・デュオ「二人のリサイタル」に行ってきた。
兄・博は仙台フィルハーモニーの1stバイオリン首席奏者、弟・司は東京芸大の将来を嘱望されている4年生。ここ数年、毎年のように二人のデュオコンサートを聴きに行っているが、今年はまた一段と素晴らしいコンサートであった。
何を隠そう、いや隠していたが(笑)、このワシも4歳でヴァイオリンを始めて、間に長くブランクあって、高校ではオーケストラ部、大学時代も元NHK交響楽団のヴァイオリンの先生の自宅にレッスンに通っていたのだ。
いやいや、自分で書いても恥ずかしいぞ。
小学校の時は、学年の音楽会でヴァイオリンを弾かされてような記憶もかすかにあるのだが、誰か記憶にある人は、コメントに入れておくれ。そうそう、後の世良公則と発表会にも一緒に出ていた。分からん人は親に訊きなさい。
まぁ、ワシのことはどうでもいい。
宮崎兄弟は、福山出身の本当に素晴らしい天分、才能の持ち主である。本当に久しぶりに素晴らしいコンサートにめぐり合わされてしまったよ。
アンコール前の最終プログラムで二人が繰り広げた、
ショスタコヴィッチの「2つのヴァイオリンのための三つの小品」
の音楽性の豊かさには、とりわけ心を奪われた。ショスタコヴィッチといえば、交響曲第5番ぐらいしか聴く機会のないワシには、この作曲家がこんなにもハートフルで、「愛」いっぱいの旋律を持っていたのかと驚きと感動さえ覚えたものだ。
兄弟の選曲に心から拍手を送りたい。
アンコール最後のサラサーテ「ツィゴイネルワイゼン」は、ご愛嬌と意欲と音楽性がうまく溶け合った兄弟最強演奏の賜物であった。他では絶対に聴かれないライブ感いっぱいの演奏であった。厚く御礼を言いたいものだ。
コンサートとは、聴きながらにして目の前にいろんな情景や記憶が浮かんでくる。
そこに流れている音色は、まるでBGMのように心にしみてくる。まるで網膜に広がる一人映画館のような世界になるのである。
いつまでもこの時間が続いていくような錯覚の中で、目の前に広がる音楽も次第に雑念に心が奪われたりもする。大事なものが目の前にあるにもかかわらず、他のどうでもよいことに心は動いていく。そして、気が付けばコンサートも終盤にさしかかり、過ぎ去った時間が惜しくもあり、いとおしくもなるのである。
嗚呼、まるで人生そのものではないか。
CDでは、もしかしたら、他にも素晴らしい音楽を聴くことも可能かもしれない。
だから、もっぱらCDばかりで演奏を聴いている人も多いと思う。
しかし、しかし、決定的に、そして絶対的に違うことは、
コンサートとは「今を生きる」ということなのだ。奏者も聴き手も、”今”を生きているのだ。
司会者もごくろうさん。光り輝く母親の一日であった(笑)。
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