まいった。  

 

落語の理論を本に書いてどうなるんだ、と見くびっておったけども、ほんとうに脱帽だ。  

ワシも考えさせられるところだらけの確かな一冊ということが分ったのだ。       

 

落語論     

堀 井 憲 一 郎       講談社現代新書  

 

本の帯びには「入門書のベスト」と大きく書いてあるのだけども、とんでもない。こんな本を落語をかじりかけた人が読んだら、なんのこっちゃワカランという理屈だらけの本であるのだ。  

この本の読み方としては、落語を聴く立場としての感性の意識がひとつ、もうひとつは落語を離れたとき、

 

一人の人間として企業人として「人前で発言するときの大事な心構え」という切り口におおいに勉強になった。  

だいたいが話の内容に注意が行き過ぎて、抑揚のない一本調子か、キレが悪いのだ。だいたい、話の内容以外にほとんど注意を払っている人がいない。  

内容をしっかり話せば伝わると勘違いをしている。  

 

それでは聴かせることができないと、立場が聴き手になった時のあなたは分っているはずだ。  

よく「落語を勉強して自分の喋りに活かすようにしてる」とか聞くけども、本当にきちんと理論武装ができていないと何が良くて何が悪いのか、という理屈は積み重なることはない。  

うまい落語家は人物の違いを声の音程差などの小手先のテクニックで棲み分けしてはならない。 

実はおなじリズムで、同じ音程で人の違いを棲み分けるからこそ、聴いているほうは安心感があって噺に集中できているというものだ。    

 

三遊亭金馬、古今亭志ん朝、春風亭小朝、立川談志、などなどなど・・・・。 

ワシの好きな落語家はなるほど、だからそうなのかとガッテンがいくことばっかり。  

どうにも落ち着かない若手落語家や、ヘンにうまく喋ろうといまだにしているベテラン落語家がどうして聴きづらいのか。そこのところも結構すっきりしたものだ。  

 

演者と聴き手が、言葉だけで同じ方向を向いて「トリップ」できるのが落語。  

想像力を豊かに働かさねば「空想の至福の高み」には行くことができないのである。  

 

 

わしらの周りの話のうまい人、聴かせる人、思わず感情移入してしまう話のできる人。    

 

 

コツを覚えるだけでもすぐに「聴かせる話の達人」になることは間違いない。  

やはり、落語はエライのだぁ。  

写真を取りまちゅね。は~い、いいでちゅか~、ハイ、ポーズ。(かわゆいミムラ社員)










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