南アフリカのワールドカップのベンチにいるはずだったのは、本当はイビチャ・オシムのはずだった。  

「PK戦はサッカーではない。   

運が悪かったのだ。 」  

オシムは、自分のチームがPK戦になったときに、グランドを去りPK戦を見ないことで有名。  

これについては、いろいろと批判もあったが彼は頑としてこれを貫いてるんよね。  

もっと、徹底しているのは、テレビ観戦でもどうやらそうしてるらしい。このおじさん、大したもんだわ。  

「私はPK戦は見ない主義だが、今回は南アフリカにいる日本代表の選手たちと一緒に闘っているつもりで、すべてを見た。  

 

しかし、私が見ていると勝てないというジンクスは、やはり本物だったようだ。 次からは見ないようにするかもしれない。」  

なんだ、ジンクスからPK戦は見てないだけなんかい(笑)。  

でも今回は一緒にPK戦まで闘おうという、オシムちゃんの温かい気持ちは伝わったよね。  

何より、ワシがオシムの気持ちが伝わったのは、次のコメント。  

「試合前に2時間かけ整えたジャパンブルーのスーツ。ジャパンブルーのネクタイ姿で観戦したんだよ。」  

しかし、オシムは無念なのだ。  

「二つのことでじつに残念だ。  決勝トーナメントは、本来イタリアが上がってくるはずだったのに、パラグアイが上がってきた。このような勝つチャンスがある決勝トーナメントの機会は、そう簡単にあるもんではない。  

しかも、勝てばスペインという強豪とW杯で対戦できるという最高の機会を奪われた。」  

「もうひとつは、  

そのチャンスを自分たちに引き寄せ、モノにするために必要な勇気を欠いていた。」

 「足りなかったのは、勇気。   

そしてリスクを犯して得点しようとする挑戦者精神。」  

サッカーには、守りを強固にしてカウンターでチャンスをつかむ。という戦法が確かにある。  

しかし、守備を強固にするということと、リスクを取らないということは別の問題だ。これを世界中のスポーツメディアや指導者が日本チームについて語る共通項なのだ。  

「リスクを冒せ」とオシムは代表監督時代から、力説してきたのだ。  

「私は日本の歴史を学び、日本人が勇敢さを保ってきた民族であることを知っている。  

侍の時代にしろ、戦争の時代にしろ、国のために命を賭けて戦うことは、勇気がなければできないではないか。」  

「しかし、サッカーでは、自分の命を失うことはないじゃないか。  

あの日の日本代表は、侍のように勇ましくリスクを冒して戦うべきだった。」  

母国の内戦で、多くの同胞や友人を亡くしてきたオシムには、「サッカーごとき」で守りに入いる日本代表を見て、歯がゆくて仕方がなかったのだろう。  

サムライ・ジャパンは、真の「侍」足り得なかったということだ。  

「日本は結局、ベスト16にしかなれないような準備しかしてこなかったということだ。   

 

惜しかった・残念だったを繰り返してたのでは、進歩がないではないか。 

私もここに座りながら(テレビ観戦)、戦ってたよ。」  

イビチャ・オシム。  

彼にこの大会の采配をふるう機会を奪った「運命」に、あらためてため息が出る。  

最後に、

 岡田監督をめぐるメディアとファンのあまりの醜態について、ワシから。  

結果を待ってから批判も賞賛も選べる立場であることを、もっと恥ずかしく思わないといかんね。責任者に対する世間とはそのようなものだ、というのは岡田監督が思うことであって、手のひらを返す人間にその言葉を吐く資格はない。

負けた相手のパラグアイサポーター。こんな人がいたら、 死ぬ気でリスクを賭けて日本は勝っただろうなぁ。左じゃないよ。










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