このカードは、ワシがやっている禅タロットでいう、
「投影projection」の意味を表す。
人間とは、つくづく「思い込み」の動物なのだ。
終生「思い込み」とともに生涯を終えると言っても過言でない。
客観的という言葉は、辞書の上だけで成り立つと思うくらいに、「謙虚な人の思い込み」というものさえそのへんに転がっている。
逆に言うと、「私は客観的」と思っている人ほど、やっかいだ。
映画館で見る絵姿は、実は投影されたものなのだ。
あなたの見えない後ろにある映写機こそ、あなたの心。
つまり、目に見えるものはあなたの心という映写機が映し出したものである。
それは影と光りがつくりだしたものにしか過ぎない。
でも、その苦い、苦しい、嫌な、あるいは夢を見ることのできるスクリーンは、実はあなたの心の映写機がすべて映し出しているのだよ、と禅タロットは言うのだ。
でも、あなたは「相手」を見る。
相手の心がどこにあるのか、どう見えるのかを知りたがろうとする。
相手の姿は、スクリーン。 私の心は、映写機。
これは認めたくない事実かもしれない。
「あなたが愛していると、相手はたとえようもなく美しく思える。憎んでいると、その同じ人がもっとも醜く思える。が、同じ人がどうしてもっとも醜くなりうるのか、そして、その同じ人がどうしてもっとも美しくなりうるのか、あなたはそのことにはけっして気づかない……。」 「真実に至る唯一の道は、自分の眼でどうやってじかに見るのか、心(マインド) の助けをどうやって落とすのかを学ぶことだ。心のこの仲介が問題なのだ。
しかも、世界は心と同じ数だけある。 というのも、心はそれぞれ自分自身の世界で生きているからだ。」
「このカードの男性と女性は顔を合わせてはいますが、それでも、互いに相手をはっきりと見ることはできません。
自分の心のなかに作りあげたイメージを投影し合い、自分が見ている相手のほんとうの顔を覆い隠しています。
私たちはみな、自分で作った映画をまわりの状況や人びとに映し出すことに熱中してしまいかねません。それは、私たちが自分の期待、欲望、そして評価、批判によく気づいていないときに起こります。
私たちはその責任を自分でとり、それを認めるのではなく、他人のせいにしようとします。
その投影は極悪なものであろうと神聖なものであろうと、不穏なものであろうと安心感をいだかせるものであろうと、投影であることに変わりはありません。」
Osho Hsin Hsin Ming: The Book of Nothing Chapter 7 日本の奇祭のひとつに上がるだろう、鞆の浦の「お手火」(おてび)。すごい迫力だ。感動。
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