たしの落語が、どこまで深くできているかはともかくも、スピリチュアルに入っているのは事実でしょうね。」  

これは本文にある談志自身の言葉だ。  

古典を極めるのではなく、常に全霊をもって古典をもっと高いエネルギーに昇華させていきたいとの情熱は、最後まで消えそうにない。

の本の表紙のイラスト描いた山藤章二をして、「談志のような芸人は百年に一人だ」とまで絶賛させ、法務大臣を経験した実力議員にも「技神に入る」と色紙に揮毫せしめた。  

志の落語は先へ先へ行こうとする。だから、ワシなんか聴いていても落ち着かない居心地を感じることがよくあるのだが、彼にしてみれば聴き手が「そうだよ、そうだよ」という落語の居座り方をされたのでは、もう負けなのかも知れない。  

「落語とは人間の業の肯定である。」と談志は云う。    

実は、人に良く見られようとする社会的な〈イリュージョン〉ではなく、怠けたいとか、働くのが面倒くさいとか、勉強は本当は嫌だとか、所詮そんなものを落語は深く笑いと哀しみで表現するのが落語ではないか、と。  

しかし、その人間の持つ不完全さゆえ、社会で人間が共存していくための「社会的常識」というもものをつくり出す。  

「その深みをつくり上げていけるのは、あたしだけじゃないか。」と談志は云うのだ。  

年、破門を言い渡す師匠の柳家小さん師匠が一番印象的な弟子は誰かと訊ねられた時に、  

「談志だな。談志が一番うまかった。」と破門した弟子の名を即答させたずば抜けた能力。  

「そりゃ、当たり前だ」と軽くいなす談志。  

近、病気を繰り返しすっかり弱気になったと云い、「いま、人生の整理にかかってる。」  

頭の衰えは感じなくとも、身体がそれについていかない。  

「まだ”老い”というものに慣れてなくてね。」といらいらすることも多いという。  

人間は生きる限り、何かに帰属して生きていく安心を求めているが、そこに理屈と張ったりをかましながら精一杯生きているんだよ。とわざと突き放した物言いをした挙句に、  

「人生は暇つぶしだよ。」と言い放つ。  

そして、  

「どれだけ素晴らしい暇つぶしをするかだよね。」と言い切る。  

また、談志のDVDを引っ張り出して観てみようと思ってる。  

「大根おろしのうまさがわかんねぇヤツは、日本人じゃない。」 談志










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