「落語とは、人間の業の肯定である」と喝破して25年。

語会の革命児、異端児ももう今年で74歳。彼の最近の発言を見るにつけ、「人生の整理に入った」というのがひしひしと分かる。

そして、 「落語に対する能書きを本にするのは最後になるかもしれない。書けるところまで書いてみるとする。」と上梓したのがこの一冊なのだ。   

間という生物は、仕事に一生を懸けたり、趣味に、芸術に、スポーツにと一流の人間のみならず、人間として最高のパフォーマンスを追求して一生を終えていく。  

しかし、それさえも談志は言う。  

「それらは死ぬまでの暇つぶしであることには違いない。」  

そして、識者の言葉を借りて、  

「けど、そこに何を残すってことが、せいぜい我々に与えられた自己満足だろう。」  

「人間は、ただ生きらりゃいいものを、そうは行かないから退屈を紛らわせるために余計なことをしようとする。要するに好奇心。この始末の悪いものを業と私は言うのだ。」  

の言い方で談志は、こう言う。  

「落語とは非常識の肯定である。」  

人間の弱さと奔放さの原点を温かく見てやるのが、それこそが落語なのだ。  

「常識人の常識に疲れて口にするユーモアなんて大したこたぁない。非常識人の氣狂いの『非常識』にはかなわないんだよ。」  

常識と言えば、落語に出てくるお馴染みの「与太郎」は、バカではないのだと。  

「世間は、生産性がないというだけで与太郎にバカとうい称号を与える。 

けど、与太郎はその上を行く。バカと思われてもいい、と思ってるし、でっも、アタイは働かないよとさえ言うのだ。」  

金儲けなんぞ大したこたぁない。人生に意義なんぞもつと、ロクなこたぁないんだ。  

れぞ落語なのだ。しかし、世間の常識に一生懸命に押し戻そうとする周囲の人間。それでも型にはまらない与太郎からにじみ出る「人間とは」。  

この本は談志自身の落語論に収まらず、彼の豊富な落語の歴史を披露しながら現代に至る系譜をあらゆる角度で目の前に差し出し、斬っては捨て、捨てたかと思えばお供えをしたりするのだ。  

談志の落語家人生でもトップクラスののパフォーマンス記録となる、「談志ひとり会」のDVDを改めて観てみたが、好き嫌いはあろうが、やはり「百年に一人」の鬼才であることは間違いないようだ。  

そして、本人もそう思っているようなのだ(笑)。  そこが、談志たる所以なのか。  

しかし、談志よ。  

この本が人生最後の落語論で悔いはないのか。  

いやいや、まだそうではなかろう。










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