「茶碗を割ったのではない。自分の器量の小ささを割ったのだ」
-伊達政宗-
あるとき、伊達政宗は名器と呼ばれる茶碗を自ら割った。 配下の家来たちが理由を尋ねると、
「この茶器の価値は千金と聞き驚いた。だが、茶碗を割ったのは、それが高価だったからではない。千金ということを聞き、驚いた己の器量の小ささに腹が立ったからだ。茶碗とともに己の情けない心を砕いたのだ」と答えたという。
僕らは情けないことに、何を聞いたかではなく、「誰が言ったか」というのをより所にするクセが身に付いている。
このクセを自分自身で捨て去り、思考判断の頼りにすることを止める生き方をしないと本当に馬鹿馬鹿しい。ちょっと世間的に認められた人が言うともうそれはあなたにとっての「絶対」になってないかな。
自分にとってのステイタスの人が言うからって、もうそれがあなたの「価値基準」になってないかな。
とんでもない。
そんな自分に気づいたら、「おっとっと。危ない、危ない」と自戒せねばならんと思うよ。
人間にはそれぞれの憧れや価値基準があるから、そんな人やそんなモノを信じてしまう方が楽なのだ。そして、いかにもそれを分かっているという自分が好きだったりするのだ。(あなたには分からないでしょうけど)という密やかなる自己承認なのだ。
かつて日本人は闇雲に舶来ブランドのバッグを、だれもかれもぶら下げてた。
少しづつその危うさに気づいてきたみたいだ。
かつてより日本人は、テレビ・新聞の言うことは絶対的に正しいと思いこんでいた。
全然気づいていない人のほうがまだ圧倒的に多い。
スゴイ人と、すごいモノは確かに存在する。
でも、無条件でそれを有り難がる自分に、すこしは嫌になったらどうかな。
無条件でその人の言葉を自分の意見にするのは、どうしたもんかな。
情けない、という気持ちに少しはならないといかんね。
つくづく僕もそう思うのだけど。
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