その時代、日本人は金曜8時はプロレスの時間であったのだ。
ご他聞にもれず、このみむらのしんちゃんも、金曜8時はモーレツに興奮しておったのである。
大木金太郎はその当時からオッサンの重厚な雰囲気を出していて、なんとも面白みのない(それが持ち味でもある)キャラクターとして子どもの目には映っていたのだ。 ぼくは試合場にも足を運んだ。
アントニオ猪木と坂口の対決。
アントニオ猪木とT・J・シンのNWFヘビー級選手権試合。
などなど、もう子どもの身体中のアドレナリンと血糖値と尿酸値とが上がりっ放しだったと思うぐらいにドーパミンばぐばぐの興奮状態だったと思われるのだ。
大木金太郎でかすかに覚えている観た試合は、
吉村道明とのコンビでタッグマッチに臨み、外人選手に血だるまにされながらも、大木金太郎の「一本足原爆づ頭突き」で反撃し、最後には吉村道明の「血まみれ回転エビ固め」で勝利を収めるというストーリーに試合会場でも酔いしれたものなのだ。
大木金太郎には両足で攻撃を与える普通の頭突きと、
片足を大きく上げて全体重を相手にぶつける、いわゆる「原爆頭突き」というトレードマークになった得意技があった。
ちなみに、この写真はアントニオ猪木に原爆頭突きをしているところだが、この直後、A・猪木は大木の反動を利用して顔面にナックルパート(パンチ)を食らわせて、大木は吹っ飛んでしまい、その後のバックドロップへと地獄の坂を転がっていくのであった。
この著書は、大木大金太郎が1956年27歳の時に(当時国交がなかった)韓国より密入国を果たし、東京駅に着いたものの警察に捕まったところから話が始まっている。
韓国名キム・イルこと大木金太郎は、北朝鮮出身の力道山を祖国の英雄として心から尊敬をして、彼に弟子入りをするつもりで日本に密入国したのだ。
本の内容の3分の1は、力道山に関する話だろうか。
韓国、力道山、アメリカ、KCIA(韓国公安警察)、
朝鮮半島出身者、暴力団、政治家。
戦後の日本の裏権力の縮図がこの本の中にも色濃く表現されている。
興味があるのは、
「力道山はなぜ死んだのか」という謎に、大木自身が触れていることだ。
ひとつには、
当時の住吉連合の暴力団員村田勝志に刺された。これは単なる暴力事件ではないとする説をかなり身近にいた大木自身が感じていることだ。
もうひとつには、
刺された後の力道山は、「命に別状はない」と報道されていたし、関係者の認識も間違いなくそうであった。それが証拠に、家族は病室から離れて自宅に帰っていたぐらいだ。
この「家族も誰もいなかった」というのが、実はポイントかもしれない。
大木金太郎は、韓国の大統領によって浮き沈みを人生で味わうことになる。
彼を祖国の英雄として物心両面において支えていた朴大統領が1979年に暗殺されてから大きく傾いていくのである。
後年になって、韓国でのビジネスで失敗し大きな借財をかかえてしまい、後援者の支援によって日本と韓国の病院で過ごして、2006年に77歳で逝ってしまった。
経済的には不遇の晩年を過ごしたが、本人は韓国人の英雄として一生を過ごし、終末をサポートしてくれるだけの友人を得たことを誇りに思ってこの世を去った。
若手時代は、兄弟のように仲良くしていたA・猪木も晩年には物心に渡る援助の手を差し伸べたそうだ。いや、「伝説のNWF対決・猪木×大木」の激戦も、不遇の大木に巨額のファイトマネーを与えるための試合だったように今になっては思う。 頭突きとは、韓国語で「パッチギ」。
私の昭和のひとコマを飾ってくれた、「キム・イル」大木金太郎。
伝説のパッチギ。
ありがとうございました。
安らかにお眠りください。
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