今日は、お墓参りに行ってきました。
あいにく天候はあまり良くありませんでしたが、台風が通り過ぎたあとの墓石は、雨で洗われたようにきれいになっていました。
お盆ということもあり、たくさんの方がお墓参りに来られていました。
朝早くから来られる方も多く、お寺の受付に並ぶ姿もあります。
そんな様子を眺めながら、こういう時間もいいものだなと思いました。
私は真宗ですので、一般に言われるような「迎え火を焚いて、ご先祖さまをお迎えする」という習慣はありません。
お墓参りについても、宗派やお寺によっていろいろな作法があります。
たとえば「お墓に水をかける、かけない」という話。
真宗大谷派では、水をかけることを「清め」という意味で捉える作法があると聞きます。
以前、遠方からお墓参りに来てくださった方がいましたが、その方は墓石に水をかけるのではなく、丁寧に墓石を磨き、掃除をしてくださいました。
お墓ですから、お寺によって考え方や作法はいろいろなのだと思います。
でも、亡くなった方を思い、手を合わせる気持ちは同じ。
「そんなことを言ったら、お寺さんに怒られるかな?(笑)」
そんなことも思います。
檀家さんが少なくなってきたという話も聞きます。
一方で、散骨についても「思っていたより費用がかかるんだね」という声が聞こえてきたり。
ご先祖さまの前で、これからのお墓のことについて話し合っているご家族もいました。
「そうなんだ……😅」
と、少し離れたところで聞きながら、時代も変わってきたんだなと感じました。
お墓を守ること。
墓じまいをすること。
散骨を選ぶこと。
それぞれの家庭に、それぞれの事情があります。
昔ながらの形だけが正解でもないのでしょう。
大切なのは、亡くなった人を忘れないことなのかもしれません。
普段は仕事でも生活でも、時間に追われています。
早番、遅番、訪問、移動……。
時計を見ながら動く毎日です。
でも今日は、不思議なくらい時間がゆっくり流れていました。
墓石を掃除して、手を合わせて、周りのお墓を眺める。
雨上がりの静かな境内で、たくさんの人がそれぞれのご先祖さまに手を合わせている。
まるで、時間が止まったかのようでした。
お墓参りというのは、亡くなった人のためだけではなく、今を生きている私たちが少し立ち止まる時間なのかもしれません。
台風のあと、きれいになった墓石を見ながら、そんなことを考えた一日でした。