滑り込みセーフ!
七夕祭り話です。
CRY FOR THE MOONの設定で、付き合い後、日本とアメリカの遠距離恋愛の二人
願い事
キョーコは途方にくれていた。
大学へ試験代わりのレポートを提出した足でそのまま事務所までスケジュール確認にやってきた今日。
入り口で天女の格好をした女性にこれを渡された。
淡いピンク色の紙…短冊である。
事務所ビルにある一階ロビーには、見上げるほどの笹が立てられ、すでに何枚もの短冊が下げられていた。
羽衣をふわふわさせた天女が、事務所内を行き交う人々…タレントも俳優もマネージャーも関係ない…に短冊を配りまくっている。…どうせ社長の指示だろう。そう当たりをつけてキョーコはため息をついた。
週末は七夕だ。
愛が三度の飯より好きな社長が、この行事をスルーするはずがない。
クリスマスツリーもかくやな大きさの笹を用意して、短冊を配るだけなんて、今年はなんておとなしい。
何か裏があるんじゃないかしら…
たわわに下げられた短冊を眺めながら、そんな疑いすらよぎる。
七夕の短冊。
願い事…正確にはそれこそ機織りや刺繍、歌や箏など、芸事の上手を願うのだが…まぁ、現代は、そんなお硬い事は言いっこなしだ。
「一年に一回だけの逢瀬の日に、他人の願い事どころじゃないでしょうに」
ひらひらと短冊をそよがせながら、キョーコは苦笑した。
「願い事…か…」
去年ならば、たくさんあったような気がする。強く、強く願う事が、あったような気がした。
(去年は何を書いたんだっけ…?)
たしか、夏にある大きなガールズコレクションにゲスト出演する事が決まっていたから…うまくいきますようにって願ったのかしら。
何はともあれ、仕事の事を書いたはずだ。
キョーコの短冊を見た社長が、眉も目尻も口角も、全てを下げてあからさまにガッカリした顔をしていたのを思いだす。
もの言いたげな視線に、素知らぬ顔をして誤魔化してしまった。
…本当の願い事なんて、あの人には筒抜けだったのに。
恋を悟りながら、あがいていたあの頃。
「あ、キョーコちゃんももらったんだ。短冊」
そう声をかけてきたのは京子のマネージャーである社だ。
挨拶をして、社の手にある若葉色の短冊を見た。
「社さんはもう願い事を書きました?」
「書いたよー。俺は毎年おんなじ。ボーナスたっぷりもらえますようにってね。」
社長が見そうな位置にさげとくよ。
社の言葉に、キョーコは笑った。
「いつもはお金よりお休み欲しいって言ってらっしゃるのに。『お休み欲しい』の方がいいんじゃないですか?」
「売れっ子・京子のマネージャーが、休んでなんていられません。…キョーコちゃんは?願い事書いた?」
まっさらな短冊を掲げて、キョーコは肩をすくめた。
「今年は…どうしようかなって」
「願い事、思い浮かばないの?…そりゃあ、幸せなことなんじゃない?」
今が十分、満ち足りてるってことでしょ。
「でも…」
社はニマッと笑った。
「『私の彦星様に会えますように』って、書かなくていいの?」
「社さん…」
「あ、でもキョーコちゃんがそんな事書いたら、あいつは本当に飛んで帰ってきちゃうよな。天の川ならぬ太平洋を越えてさ」
あははと笑いながら言う社に、キョーコは困ったように笑って短冊を眺めると、ぽつり、と言った。
「…願えません。そんなこと」
影を落としたその表情に、社は笑いをひっこめた。
「キョーコちゃん?」
「はい」
「あいつと…喧嘩でもした?」
優しい年長者の声に、キョーコはハッと頭を上げた。
そこには、優しく見守るような社が居て、知らず強張っていた肩の力が、ゆるゆると解ける。
3年間、キョーコのマネージャーを勤めてくれているこの有能な男性は、そのマネージメント能力でまだまだ駆け出しだったキョーコをここまで押し上げた。
彼女は商品であるが、それ以上に大切な友人として、彼女の特に精神面の揺らぎは見逃さずに来たのだ。
それは、湖面に広がるかすから漣のような揺らぎすら
優しく瞳をたわませた社が、どこか傷ついたような表情のキョーコの背中をそっと押して言った。
「スケジュールは俺が確認してきたから。今日はもう上がろうか。…あの店に行こう」
行く先は、彼らの隠れ家
半地下にひっそりとある、あのBARに
******
「あれは…喧嘩…だったんでしょうか…。違うのかもしれません、社さん。あれは…最後通牒だったのかもしれません…」
マティーニのグラスをぼんやり眺めながら、キョーコはそんな、とんでもないことを言った。
それは、一昨日の夜。
彼との電話で。
「謝ってくださったんです。敦賀さん。…今月、帰れなくなってしまったこと。」
それは社も聞いていた。
SFの巨匠である映画監督の次回作の敵役に、敦賀蓮が大抜擢されたというニュースだった。…おかげで予定が立て込み、今月の帰国が流れてしまった。
「私…『大丈夫ですよ』って、『無理して帰ってこなくていいですよ』って、言ったんです…」
それを聞いた蓮の態度が急変したことが、電話越しでもわかってしまった。
社は唸った。
電話は、便利なツールではあるが、難しいツールでもある。
彼女がどんな表情で言ったのか、海の向こうの彼には見えはしない。
『そう、君は平気なの。』
『君は俺を思い出すこともない位、忘れてる時間がないって言ってくれたけど。それは今も同じなのか。俺のことなんて、忘れて、思い出さないんじゃないのか』
『会いたいって、思っているのは、俺だけか』
冷たい、彼の声が突き刺さり、咄嗟に反論ができなかった。
ショックに声を出せずにいる沈黙を、彼はどう捉えたのか。短い挨拶の後、電話は切られてしまったのだ。
『君は、平気なの。』
そんなことない。
あるわけない。
背の高い人を見かければ思わず目で追い、違う人だと知って落胆して。
寂しい夜、コーンを眺めては貴方の瞳を思い出し、そっと目を閉じてその色を閉じ込めていた。
会えると信じて。
もうすぐ会えると言ってくれたから。
そうやって、日々を過ごしてきたのに。
思い出す暇もない位、貴方を思い続けてきたのに。
社は眉間に皺を寄せて、キョーコの顔を覗き込んだ。
「キョーコちゃん、もう一度聞くけど。あいつに『会いたい』って、言わないの?」
「…言えません。」
「…『会いたい』って、キョーコちゃんがお願いしたら、あいつはどんな無茶をやらかしてでも叶えてくれそうだ。…キョーコちゃんはそれが嫌なの?」
マティーニを飲み進め、キョーコの目がトロトロとし始めた所で、ピルスナーで口を湿らせた社がそんな事を言った。
たかが、『七夕の短冊』だ。
『大金持ちになりたい』だの、『世界中の女は全て俺のもんだ』だの、荒唐無稽な願い事もぶら下がる事務所の笹に、そこまで真面目に取り組まなくても良さそうなものなのに、彼女は憂いをこめて空白の短冊を眺めた。
遠く、太平洋を渡った国にいる恋人
天の川を挟んで引き離された恋人同士がようやく会える7月7日
彼の、彼女への溺愛は半端ないので
愛し恋人のためならば、喜んで彼は限界の一つや二つは超えるだろう。
しかし、とうの彼女は浮かない顔で、首を横に振った。「どんな発想ですかそれ。いっそ逆です」そう零した。
「逆って?どういうこと?」
身を乗り出した社に我に返ったキョーコは、ほんの少し酔いを冷ましたようだった。ゆるゆると首を振る。
「…ホワイトデーにも、会いに来てくださいましたし。」
「うん?」
「メールも、時間があえば電話もしてくださいます。」
不満なんてないです。もったいないくらいで。
「社さんの、言うとおりです。幸せなんです。…願い事が思いつかないくらい、満ち足りてるんです。」
「…そんな、自分に言い聞かせるように言われてもねぇ」
「そんなことありません!事実なんですから!」
社は泡の消えてしまったピルスナーを飲み干した。
何も言わない社に、焦れたようにキョーコが言い募る。
「……一年どころじゃないんですよ」
「ん?」
「三年です…。社さん。私、三年間も、会わなくて平気でいられたのに。」
だから、平気だと思ってたんです。
まさか、思いが通じ合った後の方が、弱くなってしまうだなんて思わなかった。
「『会いたい』だなんて、言えません…。社さん。」
酒精に誘われ、茶色い瞳が間接照明の灯りを含んでトロリと滲んだ。
「だって…願って、叶わなかったら。…『無理だ』って言われちゃったら。…『嫌だ』って言われちゃったら…」
こんなにしてもらってるのに、
ただ、一回だけ
たくさんの中のたった一回だけ
叶わないだけで
--------想像するだけで、泣いてしまいそう。
そんな願い事、怖くて言えません。
そう言って、キョーコはカウンターに突っ伏した。
社は盛大なため息をついて、キョーコの前に桃色の短冊を滑らせた。
「願い事ってのは、叶うのが難しいけど叶えたい事を書くもんだ。…でも、今のキョーコちゃんには決意表明とか目標の意味で書いてもらう。」
鞄の中からペンを出すと、キョーコに問答無用で握らせた。
「思えば、君は愛の欠落者を脱したばかりなんだから、低めのハードルじゃなきゃダメなのかもね。短冊にはこう書いて。…『会いたい』と言えますように。」
「社さん…」
「蓮が不安になるのも俺にはわかるよ。…あいつは怒ってるんじゃない。不安なんだ。君も、あいつを不安から守るためにがんばらなきゃ。…君はあいつの妹や子供じゃない、対等な恋人なんだから。」
だから、決意表明。
まずは恐怖に負けず、願うことだよ。
「蓮を助けると思って。さぁ。」
大袈裟なことを言う社に、酔いの回ったキョーコは頷くとペンを走らせた。
出来上がった短冊を見て、満足そうに頷いた社は「明日、笹に吊るしておくよ」と約束して、それを鞄にしまう。
お開きになった後、社は一通の写メールを送る。
「まったく…世話の焼ける」
そんな事を苦笑して呟きながら、社は短冊をもう一度鞄に入れた。
真夜中の「着信あり」にキョーコが気づいたのは、翌朝のことだった。
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キョーコちゃんの短冊写メと、社さんからのメール本文を見て、慌てた蓮さんが言い訳のために時差を忘れて電話かけちゃったの巻
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