褒められようとしない人は成長します。
成長していく人は褒められないからといって、叱られることを望んでいるわけではありません。
そもそも、成長を考えている人は、叱られるという概念がありません。
自分へ向けられた発言は、すべて教えていただいていると考えます。
教えてもらっているとき、そこに厳しさは伴いますが決して叱られている訳ではありません。
デキる人の指導者はデキる人です。
デキる人は褒めもしなければ叱りもしません。
ただ、淡々と成長するためのアドバイスをするだけなのです。
褒めるという行為は、相手を見下しているという側面もあります。
たとえば、プロサッカー選手が素人のリフティングを見て『うまいね。サッカーやってたの?』というのは完全に見下しています。
しかし、デキない人は褒められることそれ自体を求めているのでそこで喜びます。
『褒められた。プロに認められたぞ』となります。
ここで成長が止まるのです。
また、叱るという行為もえてして感情が伴う傾向があります。
叱られる相手も『怒られた』と思ってしまうのが叱るという行為の難しいところです。
一流の指導者であれば褒めることも叱ることもしません。
淡々と相手の成長のための助言をしながら、常に自分も磨きをかけて成長していきます。
そして教えてもらう側も成長にフォーカスしているので、褒められることを求めない上に叱られたという気持ちもありません。
成長のために厳しい助言をくれることを愛だと感じています。
まず、自分が成長することをベースに考えているのが、教える側も教えられるの正しい関係なのです。