人生を1日として生きると楽しいです。
今日、明日、明後日、1週間、1ヶ月、1年、10年という区切りを設けず、一生を1日とみなすのです。
そうなると、『明日は』とか『今月中には』とか『来年こそは』とか『10年後には』といったものがすべて無意味になります。
すべて今日です。
今日という日しか存在しないのです。
今日という日の中に1週間や1ヶ月や1年が含まれているのです。
カレンダー上の日付感覚を体内の感覚としていかに曖昧にできるかです。
今日と明日の境目を極めて曖昧にしていくのです。
自由な人生とは、好きなときに好きなことをしている人生です。
そうであれば、自由になる前から可能な限り、寝たい時に寝る、食べたい時に食べるという生活スタイルへと持っていくのです。
好きなことだけをしている生活というのは『気付いたらこんなに時間がたっていたという』感覚です。
つまり、日付の感覚が曖昧です。
『燃えるごみがたまってきたな。あ、でも日曜か』といって日付を思い出すようなノリです。
自由に生きられると、本当に、日付などあってないようなものです。
自分としてはまだ1日目の午後だと思っていたのに、社会では10年経っている感覚です。
童話の『浦島太郎』からはこんな一面も学べるのです。
『さすがにもう寝ておかないとフラフラだ。でも明日も楽しみでワクワクして寝つけない』というのが極上の人生なのです。