信頼 | ko-to-ba

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人は発するコトバ通りの人生を歩む。

お金は信頼を表しています。


あなたの周りに存在するお金は、あなたの信頼を数値化したものです。


収入や残高はもちろんのこと、負債も同様です。


借金があるのは、信頼があることの証明です。


返してくれないとわかっている人に、誰もお金を貸そうとは思いません。


『この額だったらあの人なら返してくれる』と判断したからこそ、相手はその額を貸してくれた訳です。


借金の額というのは、信頼の大きさなのです。


学校秀才の人には、一生かかっても理解できないかもしれません。


しかし、少し考えてみればわかりますが、周りから1万円を借りるのですらかなり骨を折ります。


にも関わらず、あちこちから借金できるということは、換言すればそれだけ人望があるということです。


それでも、安定志向の彼らは借金を背負っている人間をボロクソに言うのです。


『借金をするなんて、だらしがない』

『億単位の借金を残して死んでいったって、そりゃあ死んで当然だ』


そんな人たちに言いたいのは、『じゃあ、とりあえず1億円借りてきてください』という話です。


すると、『何いってるの。借金なんてしないに決まってるでしょ』といいます。


彼らは、借金をしないのではありません。


したくても、できないのです。


そもそも、1億円という借金は『ちょっくら借りてくるか』といってできるものではありません。


短期間で1億円稼ぐのは、多くの人にとって簡単ではありません。


むしろ、難しい部類です。


生涯賃金を3億円とすると、1億円を借りるというのはとんでもないスケールの話です。


まず、誰も貸してくれません。


そこには信頼がないのです。


正確には、信頼の大きさが足りないのです。


裏を返すと、それだけの信頼を集めることができる人は超少数だということです。


つまり、1億円を借りられる人の信頼の大きさはとてつもないのです。


借金の依頼というのは、ある意味で依頼主がどれだけ信頼されているかを確認できるという側面もあります。


お金の貸し借りについては、『貸すならあげるつもりか友達をやめるつもりで貸せ』などといわれます。


ここには、借金を依頼するということは『相手を友達として見ていない』という考え方が表れています。


しかし、真の友達だと判断して助けを求めてきたというケースも否定はできません。


なぜなら、世の中では借金をすること自体に、ネガティブな価値観が根付いているからです。


それを承知の上で、あなたに依頼してきているのです。


つまり、借金の依頼の真意としては、2通りが考えられます。


あなたのことを友達ではないと判断した場合と、真の友達だからこそ助けを求めた場合です。


もちろん、自分のルールとして、お金の貸し借りは一切しないと決めている人もたくさんいます。


ただ、すべての借金が一概に悪いといえるほど、借金の本質は簡単なものではありません。


借金をすることで、借りることができた場合でも相手にマイナスのイメージを持たれる可能性は十分にあります。


しかし、妥当な利息をつけるなどして返すことができれば、信頼が更に厚くなることも考えられます。


お金が動くときは、信頼も動きます。


お金が動くときは、信頼が試されるときです。



わたしたちは日々、お金をやり取りするふりをして信頼のやり取りをしていたのです。