『死んでしまいたいです。500万の借金があるのですが、ついに来月分の支払いが絶望的になりました。まだ、妻にも子供にも借金については打ち明けていない状態です。情けないのですが、もうどうすればいいのかわかりません』
まずは、ありのままの現実を直視する必要があります。
その上で、どうするかという方法を考えていきましょう。
現実を直視することは最も痛みを伴うことですが、問題解決のためには最も手っ取り早い方法です。
直視できた瞬間、問題の51%以上は解決したと考えて間違いありません。
多くの人は、これがなかなかできないのです。
結果、不安が拡がり続け、苦しみ続けるという負のスパイラルに突入します。
していない借金の利子を払う必要はありません。
『そんなの当たり前じゃないか。払いようがない』と誰もが思います。
しかし、精神面のステージになると人はこれをやってのけるのです。
5万円分の不安でいいところを、余計に10万円分払ってしまいます。
不安を解消するどころか、どんどん前借していきます。
100万円の借金で首を吊ってしまう人がいます。
一方、100億円の借金を抱えながらもあちこちを飛び回り、目を輝かせて生きている人もいます。
とても不思議に思えますが、前者は本人の合理的な判断の元、死ぬことを選んでいます。
視野が狭くなってしまっているのです。
『どうすればいいのかわかりません』というのは、裏を返せば、どうにかしたいという気持ちがあるということです。
どうにかしようと思っていられる間というのは、どうにかすることができるのです。
『もうダメだ。どうしようもない』と思い始めると、死ぬことが選択肢としてだんだんと鮮明になっていきます。
完全に視野が狭まったとき、『どう合理的に考えても死という選択肢しかない』と判断してしまうのです。
視野が狭まってきたときには、逆に拡げていかなければなりません。
目の前の解決すべき問題を紙に書いてみましょう。
『なんだ。そんなことかよ』とつい馬鹿にしてしまいそうですが、書き出すと面白いことに気がつきます。
世界一の不幸者に思えたあなたの悩みごとは、せいぜい2つ、多くても3つに収まるのです。
『こんな2つや3つのことで本気で人生に終止符を打とうとしていたのか』と思わず笑ってしまいます。
頭の中では100も200もあるかのように錯覚します。
漠然とした不安というのは恐ろしいのです。
ここで安心ができます。
この状態にまで、どれだけ早く辿り着けるかです。
当然、借りたものは返さなくてはいけません。
これは、幼稚園の頃の砂場でも学んだ人生の基本です。
しかし、大切なことを忘れてはいけません。
そもそも、ないお金を返すことはできないということです。
ここへ来てはじめて、自己破産や個人再生などいくつかの選択肢が見えてくるのです。
あとは、ひたすら1番目に重要な問題に取り組むことです。
この段階まで来てしまえば、問題は80%以上解決しています。
1番目を解決すると、2番目、3番目なんて大したことはありません。
1番目の問題を解決していくプロセスで、それらは既に問題ではなくなっている可能性もあります。
借金の返済のからくりと同様に、問題も解決すればするほど、完結への加速度が付きます。
気づくと、楽しんでいる自分がいるのです。
苦しんでいる瞬間というのは、人生の醍醐味です。
面白かった映画の共通点を思い出してみましょう。
主人公が例外なくどん底の経験をしているということです。
とんとん拍子にストーリーが展開されてハッピーエンド一直線の映画にお金を払う人はいません。
『そんなの映画の話だろ。こっちはリアルな人生の話なんだ』とふて腐れてしまうかもしれません。
しかし、あなたの人生もこれから映画化する可能性があるということを忘れてはいけません。
なにも、映画館で上映されるものだけが映画ではありません。
断言できることがあります。
あなたの経験は、必ず他の誰かを救うということです。
それは、あなたの人生という作品が誰かの心というスクリーンに投影されるということです。
つまり、誰にとっても人生は映画であり、いつだって主人公はあなたなのです。
今、必死にもがいているシーンはスクリーンの前のお客様の涙を誘うシーンかもしれません。
人生に、捨てカットなど存在しないのです。