今日の午後は、体育館ではなく外でトレーニングをしました。

 

ジャンプする。

 

ランジする。

 

身体を操る。

 

物を持ち上げる。

 

普段のようにシャトルを打つ練習とは、少し違う時間です。

 

ラケットもない。

 

ネットもない。

 

当然、スマッシュもヘアピンもありません。

 

それでも子どもたちを見ていると、

 

「こういうところにも、その子らしさが出るんだな」

 

と思いました。

 

同じようにジャンプしていても、みんな同じではありません。

 

地面を強く押せる子もいれば、うまく力を伝えられない子もいる。

 

身体を大きく使える子もいれば、どこか窮屈そうに動く子もいる。

 

ランジをすれば、片脚になった時の安定感も違います。

 

物を持ち上げる動きでも、腕だけで何とかしようとするのか、身体全体を使えるのかで違いが出ます。

 

バドミントンをしている時には、シャトルを追うことや打つことに目がいくので、意外と気づきにくい部分なのかもしれません。

 

「筋力がある」だけではない

 

僕は今日のようなトレーニングを、単純に筋力をつける時間とは考えていません。

 

自分の身体を、

 

止める。

 

支える。

 

跳ぶ。

 

着地する。

 

沈む。

 

立ち上がる。

 

力を伝える。

 

そういうことを覚えていく時間でもあります。

 

考えてみれば、バドミントンも同じです。

 

速く動くだけではなく、止まらなければいけない。

 

大きく踏み込んだら、戻らなければいけない。

 

ジャンプしたら、次の動きにつながるように着地しなければいけない。

 

ラケットワークだけが上手になっても、その土台になる身体を思うように扱えなければ、できることには限界があります。

 

ラケットを持たないから分かること

 

シャトルを打たせれば、その子の技術が見えます。

 

ゲームをすれば、その子の判断や考え方が見えてきます。

 

そして今日のようにラケットを置いて身体だけを動かしてみると、

 

その子が自分の身体をどのくらい扱えているのか

 

が見えてきます。

 

どれか一つだけでは分からないことがあります。

 

だから、バドミントンが上手になるために、バドミントンだけをやればいいとは僕は思っていません。

 

跳ぶこと。

 

走ること。

 

支えること。

 

持ち上げること。

 

身体を思ったように動かしてみること。

 

一見、シャトルを打つことから離れているように見える時間が、コートの中の一本につながっていく。

 

今日、外で子どもたちが動いている姿を見ながら、そんなことを考えていました。

 

ラケットを置いた時に見えてきたものを、またコートの中につなげていきたいと思います。