子どもが困っていたら、助けてあげたい。

 

失敗しそうなら、失敗しないようにしてあげたい。

 

これは、親であれば自然なことだと思います。

 

僕も子どもたちを指導していて、

 

「こうすればいいのに」

 

と思うことはたくさんあります。

 

答えを教えてしまった方が早いこともあります。

 

でも最近、改めて思うことがあります。

 

「子どものために」と大人がやっていることが、時には子どもの成長する機会を奪ってしまうこともあるのではないか。

 

ということです。

 

忘れ物をしない子ではなく

 

例えば、練習や試合の準備。

 

親が全部確認すれば、忘れ物は減ると思います。

 

「あれ持った?」

 

「これは入れた?」

 

「明日はこれが必要だよ」

 

と声をかければ、失敗しないかもしれません。

 

でも、もし自分で準備して忘れ物をしたらどうでしょう。

 

困ります。

 

「ああ、昨日確認しておけばよかった」

 

と思うでしょう。

 

僕は、この「困った」という経験も大切だと思っています。

 

次から自分で確認するようになるかもしれない。

 

前日に準備するようになるかもしれない。

 

チェックする方法を考えるかもしれない。

 

忘れ物をしなかったことより、

 

忘れ物をした経験から、自分で変えられたこと。

 

その方が、長い目で見れば大切なのではないでしょうか。

 

子どもの問題を、大人の問題にしてしまう

 

人間関係でも同じです。

 

仲間とうまくいかない。

 

思ったことを伝えられない。

 

注意された。

 

試合で負けた。

 

自分の思い通りにならなかった。

 

そんな時、大人はつい何とかしてあげたくなります。

 

でも、本来は誰の問題なのか。

 

まずそこを考える必要があると思っています。

 

子ども自身が考え、話し、やり直せることまで、大人が先に解決してしまったら、

 

その場では問題がなくなっても、

 

その子自身の「問題を解決する力」は育たないかもしれません。

 

もちろん、何でも子どもに任せればいいということではありません。

 

いじめや暴力、安全に関わることなど、大人が介入しなければならないことはあります。

 

でも、子ども自身が乗り越えられる小さな問題まで、大人がすべて取り除く必要はないと思っています。

 

失敗しないことが成長ではない

 

スポーツをやっていれば、失敗することばかりです。

 

ミスをする。

 

負ける。

 

怒られることもある。

 

仲間とうまくいかないこともある。

 

思ったようにできないこともある。

 

でも僕は、スポーツの良さはそこにもあると思っています。

 

失敗した時、

 

「じゃあ、次はどうする?」

 

と考えることができる。

 

うまくいかなかった時、

 

自分で何かを変えることができる。

 

一人で分からなければ、

 

「教えてください」

 

「助けてください」

 

と言うこともできる。

 

そんな経験を何度もできる場所が、スポーツなのではないでしょうか。

 

「待つ」というのは、意外と難しい

 

子どもに考えさせる。

 

子どもにやらせる。

 

子どもが失敗するのを待つ。

 

言葉にすると簡単ですが、実際にはなかなか難しいものです。

 

大人には先が見えてしまうからです。

 

「それをやったら失敗するよ」

 

と分かっている。

 

だから、つい言いたくなる。

 

でも、そこで少し待ってみる。

 

子どもが考える時間を残してみる。

 

失敗したら、

 

「だから言ったでしょ」

 

ではなく、

 

「次はどうする?」

 

と聞いてみる。

 

僕は、この積み重ねが自立につながっていくのだと思っています。

 

いつまでも大人が隣にいるわけではない

 

最終的には、

 

親も指導者も、その子のすべての場面に一緒にいることはできません。

 

試合中もそうです。

 

コートに入れば、自分で判断しなければならない。

 

そして、社会に出ればもっとそうなります。

 

困った時にどうするのか。

 

失敗した時にどうするのか。

 

人とうまくいかなかった時にどうするのか。

 

誰かに助けを求めるのか。

 

自分で考えて、決めて、動かなければならない場面がたくさんあります。

 

だからこそ、

 

子どものうちにたくさんの小さな失敗を経験してほしいと思っています。

 

大人の役割は、

 

子どもの前にある石を全部拾ってあげることではないのかもしれません。

 

転ばないようにすることより、

 

転んだ時に、自分で立ち上がれるようにすること。

 

そして、一人では立ち上がれない時には、

 

「助けて」

 

と言えるようにすること。

 

それが、本当の意味で「子どものために」なることなのではないでしょうか。

 

僕自身も指導者として、

 

「教えること」だけでなく、「待つこと」のできる大人でありたい

 

と思っています。