小学生や中学生のスポーツを見ていると、最近いろいろと考えることがあります。

 

チームや組織に所属しながらも、全体で練習する日は少なく、それ以外の日は親子でマンツーマンの練習をしている。

 

あるいは、組織には所属せず、親子を中心に練習を続けながら大会に出場する。

 

そんな選手も増えているように感じます。

 

もちろん、親子で練習すること自体が悪いとは全く思いません。

 

一人の子どもの課題に合わせて練習できる。

 

苦手な技術を集中的に取り組める。

 

時間も有効に使える。

 

競技力を伸ばすうえで、個別練習には大きなメリットがあります。

 

ただ、育成年代の子どもたちを見ていると、それとは別に考えなければならないことがあると思っています。

 

それは、

 

「私たちは何のために子どもにスポーツをさせているのか」

 

ということです。

「毎日練習しています」は、本当に良いことなのか

親子で練習している選手から、

 

「毎日練習しています」

 

という話を聞くことがあります。

 

一生懸命取り組むことは素晴らしいことです。

 

もっと上手くなりたい。

 

もっと強くなりたい。

 

そのために時間を使えることも、一つの才能だと思います。

 

でも、

 

毎日やれば、毎日強くなるのでしょうか。

 

私は、育成年代では特に慎重に考える必要があると思っています。

 

小学生、中学生は成長の途中です。

 

身体も発達段階にあります。

 

バドミントンでは、ジャンプ、着地、踏み込み、切り返し、オーバーヘッドストロークなど、身体の特定部位に繰り返し負荷のかかる動作があります。

 

だからこそ、

 

どのくらいの強度で行うのか。

 

何を目的に行うのか。

 

どこで休養を入れるのか。

 

身体の状態はどうなのか。

 

成長段階に合った内容なのか。

 

そこまで考える必要があります。

 

「たくさんやった」ことと「良いトレーニングをした」ことは同じではありません。

 

練習は、量だけではなく質も必要です。

 

そして、負荷と回復まで含めて考えなければならないと思っています。

 

時には、

 

「今日は練習しない」

 

という判断も、強くなるためのトレーニングの一部です。

 

高いレベルを目指すのであれば、ただ練習できる選手ではなく、自分の身体を管理できる選手にもなってほしいと思っています。

 

では、「厳しい」とは何なのか

一方で、

 

「厳しいからチームには入りたくない」

 

という話も聞きます。

 

私は、ここも整理する必要があると思っています。

 

怒鳴る。

 

威圧する。

 

人格を否定する。

 

理不尽なことを強制する。

 

私は、それを「厳しさ」とは考えていません。

 

必要のないものです。

 

でも、

 

できていないことを、できていないと伝える。

 

苦手なことにも取り組む。

 

挨拶や返事をする。

 

時間を守る。

 

準備や片付けをする。

 

仲間のことを考える。

 

自分の役割を果たす。

 

苦しい時にも、簡単に投げ出さない。

 

こうしたことまで「厳しい」と言うのであれば、私は少し疑問を感じます。

 

全国大会へ行きたい。

 

全国で勝ちたい。

 

日本一になりたい。

 

そういう高い目標を掲げるのであれば、

 

その目標にふさわしい基準は当然必要になります。

 

楽なことだけ。

 

好きなことだけ。

 

得意なことだけ。

 

自分がやりたいことだけ。

 

それだけを選び続けて、どうやって高い壁を越えていくのでしょうか。

 

高い目標を目指すということは、今の自分ではできないことに挑戦するということでもあります。

 

だから、私は厳しさをなくすことより、

 

「何のために、その基準を求めているのか」

 

を大人がきちんと説明することの方が大切だと思っています。

 

チームは、ある意味「効率が悪い」

親子だけなら、自分のことだけを考えることができます。

 

自分が強くなるために何をするか。

 

自分がどの大会に出るか。

 

自分が何を練習したいか。

 

自分を中心に決めることができます。

 

でも、組織ではそうはいきません。

 

仲間がいます。

 

自分より上手な子もいれば、まだできない子もいます。

 

気の合う子もいれば、考え方の違う子もいます。

 

自分がやりたいことだけできるわけではありません。

 

時には仲間を待つ。

 

誰かのために時間を使う。

 

応援する。

 

助ける。

 

助けられる。

 

そして、ぶつかることもあります。

 

競技力を効率よく伸ばすことだけを考えれば、「無駄」に見える時間もあるかもしれません。

 

でも私は、

 

その一見「無駄」に見える時間の中に、教育がある

 

と思っています。

 

問題をなくすのか、問題を解決する力を育てるのか

チームで活動していれば、人間関係の問題も起こります。

 

思い通りにならないこともあります。

 

悔しいこともあります。

 

子どもが困っていれば、親なら助けたくなるのは当然です。

 

ただ、

 

親が答えを決めて問題そのものをなくすのか。

 

それとも、必要な時には大人が支えながら、子ども自身が仲間と話し、考え、乗り越えるのか。

 

この二つでは、子どもに残るものが違います。

 

もちろん、いじめやハラスメント、心身の安全に関わることは大人が介入しなければなりません。

 

何でも我慢させればいいという話ではありません。

 

でも、

 

本来自分で乗り越えられる壁まで大人が取り除いてしまえば、壁を乗り越える力を身につける機会もなくなります。

 

問題をなくしてあげることと、

 

問題を解決できる人に育てること。

 

似ているようで、全く違います。

 

仲間がいるから、自分の経験以上に学べる

そして、チームにはもう一つ大きな価値があります。

 

仲間の経験から学べることです。

 

仲間が負ける。

 

仲間が勝つ。

 

仲間が失敗する。

 

仲間が努力して結果を出す。

 

仲間が怪我をする。

 

仲間が苦しい時期を乗り越える。

 

自分自身が経験していなくても、その姿を近くで見ることで考えることができます。

 

一人なら、一人分の経験しかできません。

 

でも仲間がいれば、自分が経験していないことまで、自分の学びにすることができます。

 

これは育成年代にとって、とても大きな財産だと思っています。

 

「今」を見るのか、「10年後」を見るのか

結局のところ、私は子育ての方針につながる話なのだと思っています。

 

小学生の今、結果を出すことを最優先するのか。

 

今、嫌な思いをしないことを最優先するのか。

 

それとも、その先まで考えるのか。

 

高校生。

 

大学生。

 

そして社会人。

 

いつか親の手を離れます。

 

いつか指導者の手も離れます。

 

その時に、

 

自分で考えられる。

 

人と協力できる。

 

自分の思い通りにならなくても折り合いをつけられる。

 

困難から簡単に逃げない。

 

必要なら誰かに助けを求められる。

 

誰かが困っていれば助けられる。

 

自分の身体を自分で管理できる。

 

そして、自分の目標に必要な努力を自分で選択できる。

 

そんな人になっていてほしい。

 

私は、そこまで含めて育成年代のスポーツだと思っています。

 

だからミンピーは「仲間と成長する」

ミンピーでは、勝つことを本気で目指します。

 

日本一も本気で目指します。

 

だから、目標に必要な基準は求めます。

 

できていないことは伝えます。

 

苦手なことにも取り組みます。

 

簡単に妥協しないことも求めます。

 

でも、

 

ただ長時間練習すればいいとも思っていません。

 

毎日やればいいとも思っていません。

 

厳しければ厳しいほどいいとも思っていません。

 

目標から逆算して、

 

何が必要なのか。

 

どのくらい必要なのか。

 

身体の成長段階に合っているのか。

 

休養は必要ではないのか。

 

そして、その経験が人としての成長につながっているのか。

 

そこまで考えることが育成だと思っています。

 

さらに、仲間との関わりも大切にします。

 

一緒に練習する。

 

競争する。

 

応援する。

 

助ける。

 

助けられる。

 

時にはぶつかる。

 

話し合う。

 

そして、一緒に壁を越える。

 

なぜなら、

 

一人で強くなることはできても、一人だけでは身につけられない強さがあるからです。

 

スポーツをしている期間より、その後の人生の方がずっと長い。

 

だから私たちは、

 

「今、勝てる子」をつくるだけではなく、「その先でも伸び続けられる人」を育てたい。

 

目の前の一勝も大切にする。

 

でも、10年後のその子も大切にする。

 

それが、私たちが考える育成年代のスポーツです。