こんばんはニコニコ
今日は暖かかった〜ピンク薔薇。すっかり春ですね。
連日大谷翔平くんを観てキャーキャー言っていますが。


コロナ禍、頸椎ヘルニア、仕事のあれこれで
浮かんだり沈んだりしていますが、
音楽とお笑い番組には凄く助けられています飛び出すハート


タイトル、ちょっと意味深に書き過ぎましたが
高校生の時からずっと大好きな久保田利伸さんピンクハート


お風呂に入りながら久保田さんの曲をスマホで流して
元気を出したり癒されたり。
もうキラキラキラキラなんですけど。

わたし、書いたことあったかな。
よくある自慢で恥ずかしいんですが

久保田利伸さんのお父様とわたしの父は
古くからの知り合いなんです。
手っ取り早く言うと
久保田利伸さんのお父様は、
長い間わたしの実家の家業のお得意様でした。

久保田利伸さんのご実家は
富士市のお隣、静岡市清水区。
青果店なんです。
ファンの間では有名ですが。

で、わたしの実家は食品の卸業だったので
久保田利伸さんのお父様はわたしの父から
定期的に商品を買ってくださるお客様でしたニコニコ

忘れもしない、わたしが高校2年生の時
父が「お客さんの久保田八百屋さんの息子さんが
デビューするらしいぞ。
親父さんが言ってた」
と言っていて。

当時、芸能界デビューって凄く特別なことだったので
え?なに?なに?
久保田八百屋さんの息子さん?
どんな人だろ?

今みたいにネットは無いし
情報が簡単に手に入らない。
でも、身近な人がデビューする感じがして
ワクワクしていたら
ある日デビューシングルがラジオから流れてきて

何この声!?
聴いたこと無い、本当に日本人!?

と、どハマりしたのです。

後から思えば
デビュー曲のタイトルが
『失意のダウンタウン』
というのがちょっとテンション上がらないタイトルですが。凄いんです、後半のラップ。
当時は日本人の歌には無かったような。

日本にブラックミュージックを根付かせた久保田だけあって。今思えば、ラップなんだけど、
歌番組では司会者から
「早口で歌うんですね」なんて言われていて(笑)。
ザ静岡県人の久保田は大らかな優しいお兄ちゃんという感じで
「早口じゃない。ラップを知らないんですか?」
なんて言わずに、
ただニコニコしていたのを覚えています。





今見ると、久保田さん可愛いらしいピンクハート

声も若いし。

24歳。

こんな24歳が出てきてビックリしました。


このすぐ後にアルバムを発売。

もちろん書いましたよ。


で、その後のシングル

『タイムシャワーに射たれて』で一気に人気爆発キラキラキラキラキラキラ


下三角YouTubeで観られるライブでのタイムシャワー

再生回数の半分はわたしなんじゃないか?

と思うくらい元気を出したい時に聴いています。


日本人離れしたこの歌唱力ラブラブラブラブラブラブ

ぶっ飛んでいますキラキラキラキラキラキラ


よく「久保田利伸は喉に黒人を飼っている」

とか言われていましたが。

これを超える声は無い、って思います。



これ30年前ですよね。
凄い・・・。

わたしがコンサートへ行けるようになったのは
この2年後でしたが。
タイムシャワーは一番盛り上がっていましたラブラブラブ

テレビの歌番組にも頻繁に出るようになり
久保田を観るとわたしの父は
「親父さんにそっくりだなぁ」
といつも言っていました(笑)

まさか自分の家のお客様の息子さんが
久保田利伸だなんて。
後から考えたら凄いんですけど。
当時はこんなに長く35年以上もファンでいるとか
久保田がこんなにずっと活躍するとか
考えていなかったですしね。

とにかく悔やまれたのは
わたしが東京に出てすぐ
久保田のお父様が
「息子の静岡のコンサートのバックステージに良かったら」
と声をかけてくださったのですラブラブラブ
「うちの娘が利伸くんの大ファンでね」と
父がよくお父様に話していたようで。

父から東京にいるわたしに電話があったのですが
大学のテスト期間中だったので
「静岡には行けない汗汗汗
と、真面目なわたしはテストを優先。

今なら全てを放り出して行くのに。
当時のわたしはあまりに久保田を好きすぎて
いや、会ったら倒れちゃうし
息が出来ないに決まってる。
顔なんて見れないしあせるあせるあせる

と、異常な恥ずかしがり屋で。
あ〜勿体なかった〜。

ファンクラブにもしっかり入り、
東京から地元静岡のコンサートへ行ったり
東京では慶応大学の学園祭へ久保田を見に行き
代々木体育館のコンサートにも何回も。
今で言う『推し活』ですよね。
アイドルではないから、うちわなんて作らなかったけど。

情報はファンクラブから郵送されてくる会報誌や
音楽雑誌、テレビ、ラジオ。

周りに久保田ファンはいなくて
ひとりであちこち行っていました。

「何とか父のコネを使って
久保田のお嫁さんになれないかしら?」
なんて夢見たりしていましたwww。

久保田の家はお父様が青果店を始めて
夫婦で営業していたのですが
お店に行くと久保田のCDも並んでいる
というのも有名な話です。

ずっとわたしの父のお客様だったのですが
お父様も高齢になり仕事は引退。
今は久保田が経営者となり人を雇って
青果店を続けているそうです。

聖地巡礼というのが流行りですが
わたしはご実家を見に行くのは何だか
気が引けて。
近くは何回も通っていますが
敢えて避けたりしています。
何故だろう。
上手く言えませんがあせる
なんか、一度行くと何回も眺めに行ってしまいそうな
気がするから、かなぁ?

噂に聞くと立派なビルだそうですが
ここまで来たらご実家は見ないままいようかと思います。

3年前の1月、コロナ禍直前に
静岡市民文化会館でのライブが最後で。
2日間行われましたが。
チケットは争奪戦でした。
あ、その時ブログに書きましたね。

今年は5月に Blue note東京でライブがあります。
久保田がBlue noteで歌う日が来るなんてラブ

凄く行きたいけど
Blue note はオシャレ過ぎて敷居が高いなぁ
チケット取れないだろうし
(イヤ、その前に働け!わたし 笑)

DVD化してくれないかなぁ。


下三角有名過ぎるこの曲。
多分、この会場にいたはずです、わたし。





下三角これまたしつこく何回も観ている静岡県掛川市でのフェス





下三角EXILEの歌なんだけど

申し訳ないけど、これは久保田の歌ってことに
してよ、、っていうくらい。
ATSUSHIさん、目の前でこんなに上手く歌われたら
たまらなかっただろうなぁ
(EXILEファンの方、ごめんなさい)






久保田の話でしたピンクハート