なかなか投稿できずごめんなさい。
私は元気に動き回っています。
弟もまだ頑張ってる。
今回弟が癌とわかって、
彼は治療をするのかどっちなんだろうか、
そして、余命宣告された時、
果たして弟は余命を知っているのか
すぐには、わかりませんでした。
ただ、自分の癌の進行がどれくらいか
それはわかっていると思ったのです。
それは27年前
母が癌を患ったからです。
阪神大震災の年でした。
1月17日(日にち間違ってました。訂正します。)
あの日の朝、私は母の電話で目が覚めました。
一歳の娘がいた。
「そちらは大丈夫?」
そう言われて、
テレビをつけると
大変なことになっていた。
朝7時半くらいだったか。
「こっちは全然大丈夫だよ。」
ただそれから、母と電話はつながらなかった。
まだ携帯もなく、
家の電話のみが頼りだった。
母は神戸のデパートで勤めていて、
母の売り場は
天井が落ちて大変なことになってしまったようだ。
もし、地震が日中でそして仕事に行っていたら、、
と考えるとゾッとした。
一方、弟は東灘に住んでいた。
東灘というとかなりの被害だった。
まだ、その時は被害の詳細はわからないものの、
赤ちゃんがいたし、
不安だった。
続きます
