女3人東京旅。
8月の終わりなら、
少しは暑さが和らいでるかな、と
6月に話していましたが、
今年は全くそんなことはなく。
私だけが行きたい場所に
2人を付き合わせるのは申し訳なく、
ちょっとだけ単独行動。
太陽を背に大きくそびえる
靖国神社。
私の母方の祖父は
戦争で亡くなったので、
母は靖国神社に参拝したいと
繰り返してきたのですが、
実際にはその機会があっても
避けていました。
人それぞれに
いろいろな思いがある場所です。
私は小さな頃からの
母の刷り込みで
祖父に声が一番近くで届く神社、に
思えていました。
私は2度目の参拝です。
1度目は次男の剣道の夏の大会で
日本武道館に来た時に、
どうしても来れない母に
お守りを頂きに来たのでした。
本当は大会を抜けられなかったのに
私の気持ちを知ったママ友が
「ここは私がしておくから、
みんなには言わずに行っておいで!」と
行かせてくれました。
あの時も暑い中、
おじいちゃん、おじいちゃん、と
繰り返し心で叫びながら参道を走りました。
10年たって、36度の気温の中
とても走れず、
今回は日傘をさし、首に保冷タオルで
向かいました。
人生で2度目の参拝。
かみさま、
こちらに来させてくださり、
ありがとうございます、
おじいちゃんを呼ぶことを
お許しください、と手を合わせました。
おじいちゃん、とだけ
また繰り返しました。
何を伝えなくても、
いまの母のことも私たちのことも、
きっとわかってくれている気がしました。
無に近い気持ちで
ただ一心に手を合わせたあとに
おみくじを頂きました。
13番。大吉。
息子の誕生日と同じ数字のあとには、
こんなにありがたいお言葉。
みおしえには
この物は、すなはち、現しき青人草の
食ひて活くべきものなり。 天照大神
天照大神が国民に稲の穂をくださり、
命は養われてきた。
人生を支えるのは、家庭の団欒である。
そして、その団欒の中心は食事であろう。
読み終えて、
ここしばらくの
自分の散らかっていた気持ちが
きゅっと両手でおにぎりを作るように
ひとつにまとまるのを感じました。
最近、家族のお世話に追われ、
7.8月は看病に振り回れました。
そんな自分の暮らしを、
ただ家のことをするだけの人、に
感じることも、実はしばしば…。
私って社会から取り残されている、
社会に属していない、と
夜ひとり無能感に襲われたり。
でも、毎日必ず作ってきた食事が
団欒の中心、という言葉。
自分によく解釈すれば、
家庭の中心を整えている私、とも取れる。
ならば、結構な仕事している、と、
自分を褒めてみました
食卓を、家族を守ろう、と思いました。
参拝して、一番欲しかった言葉を
頂けた気がしました。
見て頂けている、認めて頂けているような。
晴れやかな気持ちで
振り返って一礼。
なかなか参拝できるところではありませんが
参拝するたびに
暖かく必要な教えを頂ける気がします。
そして、私を参拝に向かわせてくれて
笑顔で待っていてくれる
お友達がいてくれることを
心から大切に思います。
こんな私の姿を
きっと祖父も眺めていてくれていると
信じています。