こんにちは。
仙南の柴田で肩こり、脚のむくみ、冷え、腰の疲れ、更年期、
介護疲れなら癒しのアロマテラピートリートメント
(医療行為でないアロママッサージ)
のおこじょらいふの根元です。(^_^)/
先週はまたまたお休みをいただいて、
南三陸町の志津川に行って来ました。m(__)m
今回は宮城青年海外協力協会の総会が
志津川の 校舎の宿 さんさん館 であったからです。
志津川・・・私が5歳の頃まで育った町です。
この何十年1度も
帰ることもなかったのですが・・・・、
総会があったため初めて訪れる機会となったのです。
ちょっと重たい記事なりますのでスルーしても構いません。
私が最も幸せな時代はここ志津川での5年間でした。
父が宮城交通(旧宮城バス)に勤務していたのですが、
初めての赴任地がここだったようです。
当時「新井田」というところに住んでいました。
私は田束保育所から自宅ではなく宮城バスでそのまま
街中の父のいる宮城バスの会社に帰宅していました。
そしてそこから母の勤めていた城洋新聞の印刷所
まで父に連れて行ってもらったものです。
当時はそんなことも可能なのんびりした時代でした。
母が休みの日には荒島まで出かけたり
父母と一緒に田束山に行ったときの写真が残っていて
家族そろった幸せな笑顔がとても印象的でした。
潮風に乗った磯の香りと海の幸は、丸森で育った父母の
心と舌をがっちりとらえて・・・
すっかり海産物が好きになりました。
特にホヤとか牡蠣が好きだったみたいです。
「にいだや」さんというお店が近くにあって
夏の盛りには大きなかき氷をたしか20円で
買って食べたのを憶えています。
今回の旅でその新井田屋さんも流され
犠牲になったことを知りました。
新井田地区はほとんど流されて
何も残っていない状態だと聞かせれました。
父母の友人たちも多くが犠牲になりました。
私の幼馴染の親御さんも・・・・
新井田は街中から離れていましたが、そこまで津波は
押し寄せて・・・かえって被害は大きかったようです。
街中もほとんどが何もなかったです。
でも街中の方は日頃の心構えもあったのか
避難場所の小高い小中学校に避難されていました。
それでも戸倉中学校では高さ20mの土地にありましたが
1階まで津波が押し寄せて、亡くなった方もいたそうです。
JICAのOVで志津川出身の西城さん、(NPOを立ち上げて
活動されています)の話に耳を傾けるJICA(青年海外協力機構
のOG,OB(まとめてOV)たち。戸倉中学校仮設住宅付近にて。
さて、防災放送で人々を救い、自ら犠牲になったという
防災対策庁舎の建物・・・・雨の中にポツンと建っていました。
雨がひどくて・・・・・
沢山の花やお線香もありましたが黙祷が精一杯でした。
地元の方々の心境を考えると
それも、何年か後には取り壊されるとか・・・・
町と人々の生活の復興を切に祈らずにはいられませんでした。
私の故郷・・・・ずいぶん変わり果てていました。
ダッシュ村ではありませんが、故郷は心の中にあって
心のなかにある故郷は・・・・永遠です。m(__)m
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