自分のホロスコープを生かして幸せになる

自分のホロスコープを生かして幸せになる

西洋占星術の勉強をしています。
何度も出生図を読み返しながら、自分の人生をよりよくしていく試みをしています。
開運行動も考えていきます。

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私の、空白に時間に不安が付きまとう性格(多分母親に「気楽に生きると不幸になるよ」とおどかされて育ったから)は、不安感から逃れるために
狂ったようにネットを見たり、後先考えず仕事を増やしたりと、消耗度の激しい行動に走りやすい。活動量がそれなりにあるので、対外的に困ったことがない場合もあるけれど、ふとした瞬間にこころの疲れが多くなり、急にスイッチがオフになり大切な約束をキャンセルしたり普段の自分ではしないようないい加減な仕事になったりする。

「ターボモード/オフモード」しかない極端な車のよう。仕事では職場のサイクルがきちんとしているので、それに乗って自己調整がきいているが、プライベートではそのあたりがまだ方法が確立していないので、「いつも不安」だったり「エネルギー切れで急に電池切れ」になっている。

不安をまぎらわす一番の方法は「大好きなお菓子を食べること」食事の時間と違い、浮世離れしたひとときと甘さとお腹が満たされる感じとで、不安感が飛散する。
でもこれは一時的な「避難」でしかない。

普段からエネルギーを無駄遣いしながら走っているので、体力気力は限界ギリギリ、何もしないで惰な状態ですごしていたとしても、内心は漠然とした不安でオロオロしていることが多い。そして、お菓子を食べるか、ネットを見るか、目についた仕事をする。
もうやめない?こういう毎日を・・・

不安になってしまう状態を避けるためには
自分の「こうしたい、こうありたい」と思う希望と「こうはなりたくない、したくない」ということ、また『ここまでなら許せる』という境界線を決めて、日常のルーティンや突発的なアクシデントを『許せる』範囲に留める準備・防御・自衛を取ってあげると良いと思う。

部屋はどれくらい雑然としていたら許せる?
自分の見た目は?
人間関係は?
体力は?

こんな感じでひとつひとつ確認していくと良いかもしれない。

ホロスコープが、本当に、 全惑星の関係で動いてるなあと実感できるようになったのは、40も半ばを過ぎるようになってからです。

考える前に、すぐ行動して、失敗しても倍の速さでリカバリーすれば1歩前進だと思っていたのは若い頃のこと・・・。

太陽も水星も牡羊座、月は魚座なので自分に甘い・・・

最近は土星期の私は、蟹座の火星と土星が我慢強さを授けてくれます。

 

 

仕事のプロジェクトで、環境問題の現代アートを探しているんですが、

今、ちょうど現代美術館で環境問題についてテーマにしている人が展示をしているのを知って、明日にでも行こうと思っていたのですが、

よくよく考えてみると、その展示がプロジェクトに直接効くかどうか

まだよくわからないと、思い直しました。

市立図書館のレファランスを利用したり、まだ少しできそうなことはあるかもしれません。

 

良かれと思った行動が、思わぬ波紋を生み出すことがあると、

今ではよくわかります。また、やらなければいけないことから逃避しているのではないか、とか、自分の価値観に照らし合わせると、あまり意味

のないことに熱中しかけている、など

自問すると、いろいろなことに慎重になることができます。

 

最近は、迷うと「大義名分」が通るか考えます。

正義や理があるのか、とじっくり考えると、たいていのことは

「そうでもない」となることが多いです。

はあちゅう氏もおっしゃる通り、半径5メートル以内をがんばる。

 

昔はそういう義務感や石橋をたたくことなんか大嫌いだったのですが、人間とは不思議なものですね。

 

 

 

 

 

数年前、元アニメーターが主催するオンライン画塾の交流サロンのようなものに入っていたことがありました。在籍する人はやる気があり、温かい雰囲気で、絵がうまい人も発展途上の人もはげまし合い、自主練習を挙げていて、私もはりきっていました。

塾長の方は、元アニメーターとして様々なノウハウを惜しげもなく教えて下さり、勉強になりました。確か1年間で1万2千円くらいだったと思いますが、非常にコスパが良いと思いました。

 

画塾長のリーダーシップ性は非常に高く、「この絵の描き方や、この練習方法は有効です。でもこれは間違いで、意味がない」とズバッといいます。これは絵を描く上で非常にわかりやすいものです。

プロの世界では、このように手厳しく言われることは当たり前です。

しかし、この交流サロンでの塾長による持論展開は、絵にとどまらず、人生論や社会批判に及び始めました。

 

こうなってくると、価値観は人それぞれなので、すべてが「なるほど」とは思えなくなって来ます。

しかし違和感を感じながらも「絵と関係ないことに関しては聞かない振りしよう」と思いざるを得ません。なぜなら、そこは思想を語り合うためのサロンではない(と、私は思っていた)からです。

公教育では教員の思想の中立性を義務付けています。

反対に個人的な画塾という立場では、独善性が擁護される(・・・わけないはず)。

 

以上お話ししたような状況の中で、数人が「違うんじゃないですか」と声を上げる投稿をし始めました。塾長はというと「そのような意見もありますね」ではなく、

「僕は間違ったことは言っていない」という強硬な態度の返信がされます。

その後しばらく内容の整合性などについて議論が行われましたが、

私が考えるに、

ネットサロンを盛り上げている常連による「サロン内のコミュニケーションレベルでのモラル維持」や「思想の中立性」の要求と、ネットサロンは塾オーナーの私的機関に過ぎない(気に入らなければ退会すれば良い)という、スタンスの対立だったのではなかったかと思います。

しかし、このサロンの、特殊な思想性については、入ってからでなければわからなかった。事前説明があればそもそも入会してなかったなあと思います。

そして、

何人かが退会していく中で、だんまりを決め込むその他大勢が、もういじめを黙認する中学生とか、ホロコーストに無関心な国民とか、いろんなものに重なって、

心が耐えきれず、しばらくして私も退会しました。

もう絵も描きたくなくなるというか・・・・

ちょっとしたトラウマです。

「絵がうまくなりたい」という願いや悩みが、弱みとなって、しまう。

塾長が有能だからこそ、そう思って残る人も沢山いて、

「大人なんだから、目をつぶって実利をとろう」とか

「議論したり対立するのは平和的ではないから見ない振りしよう」

とか、そんなことを考えていたのだろうか・・・と思いを馳せます。

 

 

人間は弱いです。だれしもあることですが。

声を上げることをためらわないこと。変なことを変だよという勇気。

大切だなと思いました。

 

 

(下記の書物と作者ははこの記事とは全く無関係です。)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

簡素で美しいい寺院とそこで修行する雲水たちの映像と、山川宗玄師のことば。

知行合一、心行合一について話す。

雨の日も風の日も体がギリギリの日も
同じ作務を集中して行いながら
ある日主体(自分)と客体(行為や目的、物体、環境、集団)が合一する瞬間がある
人と競わず、自己研鑽は怠らず精進すること
仕事の素早さ、合理性、
「三昧」(ざんまい)
大切なのは妄想を捨てること。集中すること

100歳を過ぎた老子が毎日何かしらの仕事をやめない。ある日弟子が作務衣などを仕舞った。それに気づいた老師は、部屋に閉じこもった。謝る弟子たちに「仕事をしない者は、食べてはいけない」
この意味は病気の人は食べてはいけないと言う意味ではない。その人の生を精一杯生きる事を説いている。

スピ系の話を読んでいて、波動を高める事を何か簡単にできる気がしていた自分を反省する。

意思を持ってしっかり生きる事の大切
さ。
精神は精神界に
肉体は肉体界で、
しっかり生きていく。


カバラ生命の樹にタロットカードの22枚がちょうど当てはまる事から、カバラ数秘術とタロットカードは関連づけて考えられることが多い。

カバラ生命の樹は、世界と宇宙の構造を表したものである。そして、タロットカードは自己が宇宙と交信し、成長する物語を表している。


遊び心のある5の自己増殖も内包した22枚のカード。
タロットカードの22には、5という数字の展開と7という数字の展開が内包していると言われる。

5には遊び心が、7はプリズムの色数やオクターブの7音階に通じている。


私のようなハードアスペクトの人間が住む4だけの世界には見られない楽しげで妖しい余白が、カバラとタロットカードには隠されている。(※詳しくは松村潔著「数の原理で読むタロットカード」)

この余白は、占星術で埋め切れなかったパズルのピースを、全てとはいかなくとも埋めてくれる存在だ。

以下のように、
分かるところからピースを埋めてみたい。

①占星術で強調されていた数字、繰り返し現れた数字をピックアップする。

アスペクトに繰り返し現れた角度、
何番目の星座か、さらに、ハウス、
サビアンの度数 ハーモニクス数など

②カバラ数秘術による、運命数。それに対応するタロットカードやその意味。

③個人的に印象的で日常的によく引くタロットカード。

私で言うと、
8(ハウス強調)、4(アスペクト)

10(運命数)

タロットカードだと 
パーソナルカード…15悪魔
ソウルカード…10運命の輪
よく出るタロットカード、塔。など。

いわゆる神霊世界に通じることや、
曼陀羅など四つ辺の閉じられた世界で力が完成するメッセージが出ている一方で

リリスが太陽と合であったり、パーソナルカードが悪魔であったり物欲性欲金銭欲などに傾きやすい性質もある。

これをカバラの樹に当てはめると、わたしの生まれ持った性質やパワーを、正しく導く方法や、宇宙からの流れを自分に向けるために、どのように道を開いていけば良いかがわかりやすい。

【自分のリーディング結果】
私はスピリチュアルな力がある。
そして現世的な富や幸福には遠い。
私はスピリチュアルの力を物質的なものに使おうとしていて、それが自分の使命にあってない。ゆえに宇宙からの流れも入らないようになっている。
俗世の思いを捨てて、身軽になり、
祈りと奉仕に行きよ。



【まとめ】ホロスコープや数秘術、タロットカードに繰り返し現れる数字には意味がある。
それらの数字を生命の樹にあてはめるワークをしながら、使命やよりよく生きる方法を読み取る。












自分のホロスコープにハードアスペクトが多い人は主に4が強くソフトアスペクトが多い場合は3が強いと考えて仮定を立ててみる。

ホロスコープは12星座なので3×4
3・・・は創造的展開(魂振り)
4・・・は安定、定着の法則(魂鎮め)

4は最終的に元いる自分に重なる数字である。
(牡羊座から牡羊座に戻る)
4が入ると図形に司られる空間数字のなかでの解釈になり、深淵の世界の解釈までは行きつかない。(マヤ暦で神聖な数字である13は人智の外の思想まで顕すことができる)

しかし人間として生活を送る上で、自分や事物を見晴らす助けになるのが3×4の表す世界になる。

この12の世界の中で、
私はグランドクロスを持ち、8室に惑星が多い。
非常に強調されるのが
牡羊座、蟹座、天秤座、山羊座
火星、冥王星、太陽、土星。リリス。

それに準じて、オアシスのように存在するのが
乙女座、魚座、双子座と
金星、月、木星である。

よくホロスコープ読みの中で
ハードアスペクトは激動の運命を切り開く
という表現が多いが、
これは360度を2で割り、そして4で割る。
この分割の方法は世界を4の倍数を使って生きていくということである。

ソフトアスペクトのように360度を3つに割る3の倍数で生きる世界では、自ら7の数字を生み出しどんどん増殖することができる。
4を主軸にした自己増殖の方法は、(自分)に戻るという意味で、増殖しない。(家族が増えない)
※詳しくは 松村潔著
「数の原理で読むタロットカード」

出生のハードのみ考えるならば、
個人の内面を磨くことが主眼に置かれるので、常に自己内省を怠らず、克己、求道する。

出生のハードの天体にソフトアスペクトを上手く加えられた場合は、家族が増え富や環境が変わる7の法則に変化する(3+4=7)
ので、トランジットや相性などで意識的に活用すると、現世的な意味での幸せが手に入ると思う。
しかし幸せを手に入れた時もどこか冷めた目でこの世の理を見定めている気がする。
何故なら4の倍数は「止」であり「死」であり「鎮魂」であるから。

つづく
よしもとばなな著「ふなふな船橋」を読んで

ー考えることはそれほど重要ではないー

https://books.google.co.jp/books/about/ふなふな船橋.html?id=s_J0DwAAQBAJ&source=kp_book_description&redir_esc=y

主人公の花ちゃんは、お母さんの再婚の時に、お母さんの妹と同居する決断を自分でした。
文の中で強調されているのは、頑に、意固地になってしたのでは無く
「自分にとって自然ではないから」
した、ということ。
境遇にあった寂しさや悲しみはあったけど、
とてもしなやかに生きて、そうしてすこしだけ奇妙な人たちとも友達だったり、きちんと心の交流ができている。

しかし、大人になって、男性と恋愛関係を結ぶような時期になり
花ちゃんは、そのしなやかさがすこしくるってしまうのだ。
宇宙的な、第6感からすれば正しい事と、
現実的な面で「正しさ」との
ズレに気が付かなくなり、
「自分にとって自然でないのに、心地悪いわけでもない」日々を送っている。

しかしある時、
物語の中盤で、出来事が重なり、
ゼロ地点に戻る事になる。

花ちゃんは、それをきっかけにして
もう一度、中学生で一人で部屋から窓を眺めていた頃に戻り、
本来の姿に戻っていく・・・。

この物語で自分が「あるある。」と思ったのは、「自分にとって自然でないのに、心地悪いわけでもない」ことを、やってしまっている、ということ。


割と慣性の法則に流れたり、重力の法則に流れたりしているのだ。

自分で変えられる手軽なものは、
まず、モノの置き方。きちんとまっすぐ座り、縦横を揃えるだけでも気持ち良くなれる。

人との接し方は、モノの扱いから派生する。

つまり、どんな話し方にするか。約束を守るか、守らないかなど具体的なことが、人との接し方の選択の起点になる。

こんな時、本来の自分のスピリッツに逸脱しないように選択したいものである。

たとえどんなに遠回りになっても、そのように、きちんと自分のスピリッツに沿えば、最終的に辻褄のあった風景が、数年後、数十年後に広がる。「ふなふな船橋」はそう教えてくれた気がする。

じぶんメモ

アストラル体で考える/感じる

・1秒以内で感じることに敏感になる
・身体感覚でもなく感情感覚でもなく
・空間位置としての自分と時間位置としての自分の両方を意識する
・思ったことは成る、さかしまもある。
・思う事はリフレクションを生む事







 

音楽が好きなので、

いろんな音楽家の内面世界をのぞく機会があります。

 

 

ラジオやSNSでその人のプレイリストが発表された時。

 

その人の作った音楽に胸が締め付けられるような切なさを感じた時。

そんな時、非常に稀有な体験をしたなと思います。

素敵な音楽を生み出してくれたことに深く感謝します。

 

独自の表現や美意識を追求している方。

その方の映し出す世界とその方の内面世界は、

奇跡のように美しく、貴重な存在だと感じます。

音楽家だけではなく、すべての美しいものを生み出す方々の

心の中にある創造の森は、とても美しいのです。

 

私は、

音楽家の方が美男美女でなくても、

「美しい人だ」と思って見るようになりました。

 

そのような見方がきっかけになり、

他人(知り合い)を見る時に、

目鼻立ちやスタイルなどの外見のオーラよりも、

内面のオーラをよりピックアップして感じられるようになりました。

 

まるで超音波器具のα波とβ波を調整するかのように、

スタイルや顔立ちの美しさの波動を小さくして、

内面の情報を拾い集めて、再構成した波動を大きくするように、

私の心の中の、感受性という機械のつまみを動かすのです。

 

ここで強く言いたいことがあります。

生まれ持った姿かたちだけが美しさの価値なのだとしたら、

人に与えられた美しさというものは、遺伝によって偶然できたもの。

たまたま美しく生まれついたという希少性の優位でしかありません。

 

なぜ、およそ80歳から90歳という長い人生を

生まれたときの1回だけのクジで

「私は美しく生まれて来ることができなかった。」

という判断に苦しめられなければいけないのでしょうか。

 

生まれてからたくさんの美しいものやセンスの良いものに触れ、

憧れて、それに努力している人々が、

「もっと鼻が高かったら」「もっと痩せていたら」と、

容姿のせいで、美しさにどこか傷をつけられていると感じるなんて、

そんな人生ってありますか。

 

 

本来「美しさ」とは生まれ持った姿そのものであり、

歳を重ねれば重ねるほどに

アップデートされ

完璧なものに限りなく近づくべきだと思うのです。

 

 

 

外見の美しさを求めて

身にそぐわない高価なものを身に着けることでも、

整形を繰り返すことでもなく

感受性の心のツマミを調整して

 

内面の美しさを美の基準に置くこと。

その基準が達していない場合は、もちろん磨くことも

あります。そのように心がけていると、

どのような顔立ち、姿であっても

凛としたクリアな雰囲気が生まれてくるのだと思います。

 

 

私にとって「美しい人」に大切な定義とは、

 

□その人の個性にあった、健やかな精神性

 

□前や、外に向かうポジティブなエネルギー

 

□物事を冷静に見ることができる力

 

□「美しさ」を感じる心

 

□周りを幸せにする力がある

 

です。

 

また 気が向いたら

具体的な内容も書いて

自分用に忘れないように残しておこうと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

聖なる予言という本を読んでいます。

万物にエネルギーがある

という考え方。

エネルギーを見ようとする気持ちがあれば、

感じることができる。



と書いてありました。


自分の身の回りにいる人


家族や職場の人

のエネルギーを奪わないようにしたいと 思いました。


まずは
感じようと思うこと。

気の流れをみて

自然や人の良い気を増やすように

心がけよう。


 

今日、潜在意識下にふたをしていたことを

 

思い出しました。

 

あっそうだ。

 

大正ロマンの着物着たい。

 

モダンガール風のお洋服画が着たい・・・。

 

 

なんだかメンヘラ文学女性に見られるのを

異常に気にしていました。

 

でも澁澤龍彦も四谷シモンも丸尾末広も好き・・・・

 

椎名林檎も好き・・・

 

じゃあ。着ればいいじゃん。

 

 

 

 

とうことで。

 

目下は

だんなさんの展覧会を見に行くので

 

その時はモダンガール意識したお洋服コーディネート

 

にしよう!

 

おひつじ座