おとーさんが亡くなって早二ヶ月。
少しずついろんなことが片付いてきて
少しずつ涙よりも笑顔の方が増えて‥‥
おとーさんはきっと
こんな私のこと
今この瞬間も見守ってくれてるよね?
と自分に言い聞かせている
今日この頃の私です。
さておとーさんのことを綴ろうと
決意してほったらかしの一ヶ月。
もうそろそろ書き始めようと思います。
あ、まずはおとーさんとは
私の主人の父になります。
でも「実」とか「義理」とか
もう関係ない父娘でした。
その熱い想いの記事は
こちらをごらんください。
ではまず記憶がフレッシュのうちに
葬儀のことを残しておこうと。
単刀直入にいうと
参列者はたった三人でした。
私と主人と主人の兄と。
本当は孫であるあーちゃんも
参列させるつもりだったのですが
前日に少し体調をくずしてしまい‥‥
泣く泣く参列を見送ったのでした。
おとーさんの死因は
コロナではなかったので
葬儀は通常通りにできました。
しかし
おとーさんが亡くなったこの頃は
東京アラートが発出されており
コロナ感染者が過去最高を記録し
世の中もピリピリムードでした。
おとーさんの親族も
みなさんご高齢で持病があったり
ご家族にコロナハイリスク者がいたり‥‥
そういう私の実の両親も
コロナハイリスク者のため
式には参列できませんでした。
いや、これはもう私がみなさんに
「どうかご無理のないように」と
そう伝えてしまいました。
だって万が一のことがあったら
一番悲しむのはきっと
亡くなった
おとーさん本人ですもの。
自分よりも他人のために
いつも走り回ってたおとーさん。
たっくさんの人に愛され
たっくさんの友達がいたおとーさん。
それなのに
こんな寂しいお葬式にしてしまって
本当にごめんね‥‥。
でも私には聞こえるよ。
「みゆきちゃん、
あんたは正しかったよ」って。
おとーさんならこう言う。
「おれは子供達に
見送ってもらえれば
それだけでいいから」
だから私は
親戚やご友人の分までしっかり
おとーさんを悼んで
見送れたつもりだよ‥‥。
と心情的には
こんな描写なのですが‥‥。
ぶっちゃけ
今年になってからの
全世界的コロナ騒動から
おとーさんが亡くなるまでの間
それはそれは既成概念では
ありえないことづくしでした。
まず緊急事態宣言が出る頃から
病院は面会謝絶です。
でもこれは
病院スタッフの皆様方が
おとーさんを含め他の入院患者様方を
必死で守ってくださってるがゆえのこと。
徹底した管理と責任感にありがたくて
頭が下がる思いでいっぱいでした。
ただやっぱりおとーさんとしては
今までしょっちゅう病院に来てた子供達が
急に来なくなってしまったので
気落ちしてしまったのは
あったようですね‥‥。
何度か病院から「危篤」の電話があり
その時だけは面会を許可されました。
唯一会える時が「危篤」の時なんて‥‥
そう思って看護師さんの前で
思わず
泣いてしまったこともありました。
でも今はそのことを後悔しています。
病院スタッフの皆様は
いつも私たち患者家族に
心から寄り添ってくださいました。
だから私たちの痛みを
分かち合ってくださっていました。
何よりもジレンマを抱えて
その上で最大限患者様方を
守ってくださっていたのです。
おとーさんが亡くなった今
いろんなことを思い出しても
病院には感謝の気持ちしかないです。
この病院を選べたことが
私からおとーさんへの
最後の親孝行でした。
少し話が逸れましたが‥‥
そして時は流れ
最後の「危篤」の連絡の日のこと。
面会を許されたのは
一回につき15分間だけ。
感染防止のため
15分経つと一度病室から
出なければいけませんでした。
途中食事のために
近所のコンビニの駐車場にいたり。
そしてしばらく時間を開けて
また次の15分間の面会。
そしてまたどこかで待機。
あの日は4度携帯が鳴ったかな。
呼び出しのために。
そうやって最期の時を迎え
涙で顔がグッチャグチャの中
そう悲しんでもいられない
現実が始まりました。
おとーさんの清拭が行われている間に
急いで葬儀社決めです。
「ではお願いします」となると
ものの1時間でスタッフの方が
お迎えに来てくださいました。
病院でお世話になった方々に
丁寧にお礼を伝え
次は葬儀社での打ち合わせでした。
「葬儀」って
三密の最たるものになります。
密閉・密集・密接ですもんね。
「お通夜どうする?」
「そうしたら食事とかするのかな?」
主人と話していると
スタッフの方がこう聞いてきました。
「ファミレスとか行かれます?」
一瞬「???」と思ったのですが
「いえ、私たちはコロナ騒動始まってから
外食はしてないですね」
そう答えると
「あぁ、それならお通夜での食事は
無しにしましょう。
そんな基準でいいんですよ。
決めていくのは」
そうなのか!とびっくりしながらも
そう聞いてから
コロナ禍中の葬儀は
「今までの当たり前」を
自分たちなりに
カスタマイズしてよいのだと知り
自分たちなりの「軸」を
持つことができました。
「簡略化」も
このご時世では
いたしかないことなのだと。
この担当者の方が
本当にざっくばらんに相談できて
素晴らしかったんです‥‥。
すごく救われました。
打ち合わせの時点では
親戚の方々が
来るだろうと思っていたので
告別式だけはやると決めました。
でもやはりみなさん
諸事情で来られず‥‥。
そりゃそうです。
こんなご時世ですから。
そういった事情もあり
告別式で
初七日と四十九日法要まで
していいただきました。
告別式当日は式場で
三組の葬儀が行われましたが
やはりどこも少人数でした。
これからコロナが落ち着いて
世の中が平常に戻っていくことを
心から祈りつつ‥‥
でももしかしたら
もう少しコロナに
振り回される日々が
続いてしまうかもしれない。
そうなった時に
私が経験したようなことを
どなたかが経験するかもしれない。
そう思い
少しでも参考になればと
この記事を書かせていただきました。
亡くなった方を最大限
心から悼みつつ
同時に参列者の方の安全も
最大限守りつつ。
看取りも葬儀の形も
どんどんと変化しています。
「今までの当たり前」が
「当たり前ではなくなった」今
自分の「軸」を持つこと
臨機応変に対応すること
これが必要だなと思いました。
コロナ禍で大変な葬儀でしたが
私は葬儀を執り行えて
本当によかったと思っています。
おとーさんを看取ってくださった
病院スタッフをはじめ
葬儀社のスタッフの方々
お坊様
みなさん本当におとーさんを
大切に大切に丁寧に
見送ってくださいました。
お葬式って
残された家族のために
するものなのかもしれないな。
きちんとお別れするために。
(もちろんおとーさんを
弔うためでもあるのですが)
まだまだ続くお葬式関連話。
引き続き
お付き合いくださいませ。