一緒にソムリエ試験の勉強をしたお友達が亡くなりました。
当時、国分寺で酒屋さんをしていたので、たくさんの劣化ワインを提供してくれて、何度も何度もサービスの練習してくれました。とても暑い夏だったあの日が懐かしいです。彼はアドバイザーで、私はソムリエで。
「もう、絶対受からないよー」なんて言うと、「大丈夫、大丈夫」って、余裕で微笑んくれました。合格した時は「ほらね、高いレベルで勉強してたから、間違いないと思ったよ」っと言ってくれて。
あれからずいぶん時が経ってしまい、アカデミー・デュヴァンの講師をされて、シャンパーニュの分野では著名人となり、すっかり遠い存在になっていました。
2月13日に訃報の連絡があり、3月3日に「お別れ会」という形で会葬がありました。参列者が絶えないくらい多くの方が見送りにいらっしゃってました。まさか写真で再会するとも思いも寄らず…。
シャンパーニュで献杯。活躍されていた姿をスライドで見させてもらって、あの頃と変わらない声で名前を呼んでくれているそんな気がしました。
私はワインのお仕事はしていませんが、いつかぶどうのバッチを付けてお仕事が出来たらって。でももう無理か…。
格安で販売してくれたユーロカーヴは消費の方が早いのでなかなかフルにはなりませんが、これからも大切に使っていきます。
足早に駆け抜けたワイン人生はまさにシュヴァルブラン。
いつまでもワインラバーのプリンスでいて下さいね、小林さん。
当時、国分寺で酒屋さんをしていたので、たくさんの劣化ワインを提供してくれて、何度も何度もサービスの練習してくれました。とても暑い夏だったあの日が懐かしいです。彼はアドバイザーで、私はソムリエで。
「もう、絶対受からないよー」なんて言うと、「大丈夫、大丈夫」って、余裕で微笑んくれました。合格した時は「ほらね、高いレベルで勉強してたから、間違いないと思ったよ」っと言ってくれて。
あれからずいぶん時が経ってしまい、アカデミー・デュヴァンの講師をされて、シャンパーニュの分野では著名人となり、すっかり遠い存在になっていました。
2月13日に訃報の連絡があり、3月3日に「お別れ会」という形で会葬がありました。参列者が絶えないくらい多くの方が見送りにいらっしゃってました。まさか写真で再会するとも思いも寄らず…。
シャンパーニュで献杯。活躍されていた姿をスライドで見させてもらって、あの頃と変わらない声で名前を呼んでくれているそんな気がしました。
私はワインのお仕事はしていませんが、いつかぶどうのバッチを付けてお仕事が出来たらって。でももう無理か…。
格安で販売してくれたユーロカーヴは消費の方が早いのでなかなかフルにはなりませんが、これからも大切に使っていきます。
足早に駆け抜けたワイン人生はまさにシュヴァルブラン。
いつまでもワインラバーのプリンスでいて下さいね、小林さん。


