自分とは直接関係のない遠くのマイナスな出来事に

ついつい気持ちが囚われてしまう

 

私も以前はそういう人だった

世の中には困ってる人や苦しんでる人がいるのに

 

自分だけ楽しんでいいのか?困らなくていいのか?

と思っていた

 

TVで見る戦場の悲惨な様子や途上国の貧しい子どもなど

そんな情報は「知っておかなければならない」と思っていたし

 

旅行に行くときなどは身内に対してさえも

罪悪感みたいなのを感じてました

 

そんな私も今は随分距離を置けるようになりました

それが2024の在り方に繋がる

 

自分でも変わったな~と思えて

何がきっかけなのかちょっと整理してみる

 

これ!と答えは一つではなく

様々考え方を知ってそれを少しずつ採用できるようになったからのように思う

その考え方を書いてみます

 

ベル 「あの貧しい人、困っている人は、

   過去の私かも知れないし未来の私かも知れない。」という考え方

  =人は魂レベルで見たら、良いことも悪いこともプラスマイナスゼロ。

   例えば前世では裕福だったけど今世では逆

   どちらも様々な経験の一部として、

   転生を繰り返しながら楽しんでいるという考え方。

   「なるほど~」と思った記憶がある

    ↓

   だとしたら、今(問題ない自分)を楽しまないと損だし、失礼でもある。

   経験したくてしているのならば邪魔はしてはいけない

   いつかの自分ならもう十分味わったのでよしと思えた

 

ベル 集合意識という考え方

  =意識を向けたところが活性化する。だとしたらマイナス感情をそこに向けると

   集合意識の一部となりさらに状況を悪化させることになりかねない。

   ならばマイナス的な思いはなるべく持たない

   そのことが相手のためになる

 

ベル アーユルヴェーダ的にいうと、不安はVataの乱れ。

   こころに残ってしまうのは消化力の低下

  =本人の気持ちの問題というより、Vataの乱れのせいにする (笑)

   Vataを整える、消化力をあげるといった外側からのアプローチができる。

 

ベル 自分がその不幸な立場だったらどう思う?

  =自分のせいで(変えられない環境下)、

   (特別関係性のない)他人が不安になられても

   困る!私のせいで困らないで欲しいし、それは望まないという考え方。

 

ベル 目の前の現象は自分が引き起こす

   =状況によっては受け入れ難い考え方だが、

    確かに自分の中にその考えや思いがあるから

    相手や環境にそれを見出す(無意識に)ということはある。

    だとすると、自分の外側ではなく内側を変える必要がある。

 

 という感じ

 考え方はいろいろ

 それを採用できるか否かはまた人それぞれ

 

 自分が楽になる考えを採用すればよいニコニコ