旧風間家住宅「丙申堂」

今から127年前…
明治29年武家屋敷跡に建てられた豪商の館です。
丙申の年にちなみ名付けられました。

平成12年国指定重要文化財の指定を受けました。


入り口の「薬医門」(約200年前の武家門)





先に見えるのは「太子堂」
聖徳太子をお祀りしています。大工職人の守護神です。


案内板に従い左手へ。蔵の前を通り玄関へ。


玄関か見えてきました。


大正期に立ち上げた「風間銀行」の提灯がありました。現「荘内銀行」の前身です。


受付です。こちらがかつては店舗でした。


住居と店舗を兼ねた建物になっています。




「とおり」です。
履物に雪や水がついても滑りにくい切石敷きになっています。
玄関と現受付(前店舗)



手前の部屋は「佛間」です。
奥は「座敷」


「克念」…八代目当主が好んだ言葉
現在「公益財団法人克念社」を設立されています。


「超群生」
どちらも浄土真宗のお坊さまの書です。








「座敷」

「篤敬天下平」篤敬して天下平かなり
(とっけいしててんかたいらかなり)

副島種臣 書




「狆くぐり」(ちんくぐり)



「梅に鶯」

1枚板を表と裏から彫っていったものだそうです




「聖徳太子十七条憲法」
鶴岡市出身の土屋久泰 氏書。初代大東文化大学学長です。
「原爆行」の漢詩人の土屋竹雨 氏です。




「筬欄間」(おさらんま)
縦糸と横糸の美しい織物を模した竹の欄間です。
「筬」は 櫛状の機織り道具のこと。




山水画の屏風

北前船により京都からもたらされたもの、文化がたくさんあるそうです。




こちらでは映画も撮影されました。
「サムライ マラソン」
「必死剣 鳥刺し」




枯山水庭園




客間への廊下


来客用トイレは有田焼です。















かわいい…一部を撮りました。




小座敷に「村上堆朱」のテーブル
豪華すぎて目がくらくら。
かなり高価であることから注文もなく、今は作られていないとのことです。






こちらで「蝉しぐれ」のワンシーンが撮影されました。
市川染五郎さんと木村佳乃さん






ふたたび枯山水庭園





「中の間」



代々の当主が家訓にされている「知恩報徳」
児童福祉や慈善事業、女子教育の支援に尽力されてきました。
現在も荘内育英会事業などに参画されています。







ふたたび「筬欄間」
欄間越しですが、天井は通常より2段高くなっているそうです。




「茶の間」
初めにこちらで「杉皮葺き石置き屋根」の葺き替えの様子のDVDを拝見。
その後、ボランティアガイドさんの説明を受けながら見学しました。


家紋入りの箱は提灯入れだそうです。



家紋は「丸に亀甲に花角紋」








二階へ






窓から「太子堂」を拝見しました。
こちらの瓦も鶴ヶ岡城のものなのですね。









「東照公遺訓」徳川家康公遺訓





「杉皮葺き石置き屋根」です。
庄内にはもう一軒。
酒田市の「旧鐙屋」にあります。

 *耐震補強工事等のため休館しています。

     期間:令和2年10月1日から令和7年3月(予定)

 

かつての「石置き屋根」を紹介した写真がありました。
現「清川屋」の前身のお店が写っています。
 




風間家は越後の国「沢海藩」(そうみはん)の武士でした。現在大部分が新潟市江南区の一部

村上で商人になり、酒田そして鶴岡に移住。
創業安永8年(1779年)呉服商から荘内藩の御用商人まで上り詰めました。お城への出入りも許されていました。


「杉皮葺き石置き屋根」
上から石→杉皮→防水シート→野地板の順。
平らな石4万個(30t)が敷き詰められています。
20年に一度葺き替えられます。
再来年(2025年)で20年。そろそろ葺き替えの時期です。数千万円の費用がかかるとのこと。
石は洗浄され、再使用されます。
杉皮は新潟に所有の約1300坪の植林地から。
採取し易い梅雨明けの頃に、樹齢55年ほどの杉を切り倒し手作業で皮を剥いでいきます。
杉の木3000本〜5000本。何年もかけて量をためておくのだそうです。


鶴ヶ岡城の瓦
かたばみの御紋


こちらは増築された所。石置きはないですが、かなり古いとのことです。




再び「とおり」





こちらの庭も美しいです…。




 良かったら…

②旧風間家住宅「丙申堂」です↓



③風間家旧別邸「無量光苑釈迦堂」 です↓