W大戦の敗戦から数週間後。


吉岡は神奈川の乗馬クラブにいて、アンディーという白と黒のホルスタイン柄の馬で障害を飛んでいた。

$伊勢重若旦那物語 ~続・名前を無くしたレストラン~


関西弁のインストラクターの声が大きく響き渡り、その側ではシャンドラヴェリテに乗った相川とユーコースプリングに乗った宮本が、面白い物を見るような目で眺めている。

この神奈川の西湘地域にあるクラブは、眼下に秦野市街を、そしてその奥には市街をぐるりと囲むように佇む丹沢山系を一望する事が出来る、とても素晴らしいロケーションを誇る。


9月の試合で馬に乗ることの楽しさを思い出した吉岡は、再び馬に乗ることを決めていた。
そして、相川と宮本の所属するクラブにビジターとして乗りに来ていたのだ。



それは、本当に偶然と偶然が偶然に重なっての事。


6年半ぶりに試合に出たのも、その寸前に再び大学に行ける環境が整ったという偶然。
神奈川の乗馬クラブに、同期で一番仲の良い宮本が所属していたのも偶然。
そのクラブにT大OBの相川が所属していたのも偶然。
さらに、宮本がその年の5月に仕事を辞め、それにも関わらず馬に乗る為にクラブと隣接する平塚市に住んでいて、土日に馬に乗るには都合の良い環境が揃ったのも偶然。


だがこの時は、これから先の人生が馬中心の生活になっていくとは、毛ほども思ってはいなかった。

その証拠に、愛車ミニクーパーの後ろには折りたたみ式のロードバイクが積んであり、馬に乗り終わった後にロードレーサーの聖地「ヤビツ峠」に挑戦していたこともあった。

今はただ、馬に乗ることが楽しい。それだけだった。


続く


※この物語はフィクションです。実在の人物・団体等は関係ありません。
※当blogは吉岡大輔選手とオスカーリッツ号のオフィシャルサポーターです。