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1ヶ月半休んだ話

母が入院。そして退院まで

 ※母の病気のことについては本人の許可を得て

お話しさせていただいています。

 

 

母が強制入院となって

すごく悲しい中

助けになったのは

訪問看護師の佐々木さんの

存在でした

 

 

余命宣告時から

お世話になってる訪問看護師の

佐々木さん✨


この時 私自身の

治療のことも

考えないといけないけど

(どうやって病院に行くか....とか)

 

 

 

それ以上に

母の代わりに

(詳しくは話せない部分だけど

主に母の仕事のことで)

行政に姉と走り回ってて

 

 

 

プラス家の家事とか

どうしても体力的に

難しいのもあったんだけど

 

 

 

(例えば買い出しひとつにしても

骨転移で重いものは まだ

持てなかったりするんだけど

そんな時も佐々木さんが

付き添って助けてくれたり)

 

 

 

精神的にも

体力的にも辛い時

 

 

 

家事を一緒に手伝ってくれたり

ただ一緒にご飯を

食べてくれたりとか...

本当に大きな支えになって

くれました悲しい愛

 

 

 

そして母に会いに

出来るだけ毎日は無理でも

行ける時は行って

 

 

 

差し入れに

ご飯を作って持って行ったり

 

 

 

手紙を毎日書いて

渡したり...

 

 

 

とにかく

母の回復の力になれるよう

母の友人やみんなと協力して

毎日連絡取り合って

力を合わせていました

 

 

 

そして

母は先生も驚くほどの

回復をして✨

 

 

 

最初は「2ヶ月くらいは

入院の覚悟してください」

と先生に言われていたんだけど

 

 

 

入院から2週間

経った時には

また笑顔が見られて

 

 

 

母自身も冷静に

今の状況を見れるように

なっていて

 

 

 

何より姉の希望もあって

姉と先生と相談の上

2週間で退院となりました

 

 

 

ただ現状としては

鬱の原因となった

母の仕事のことや現実で

起こっていることは

まだ全ては解決してなくて

 

 

 

というのも

やはり母の仕事は

母が代表で

いくら姉や私が代わりに

サポートしたくても

 

 

 

権利とかの問題や

とにかく母でしか

どうしようもできないことも

多くて母が帰ってきて

片付けるしかない状況

というのがありました

 

 

 

このことは

もちろん母の主治医にも

相談してて

 

 

 

どうやっても

家族がどうこうできないのは

仕方がない

ということで

 

 

 

無理はしない範囲で

やってみましょう!

とのことで

母もそれに納得して

退院しやっていくことになりました

 

 

 

ただやっぱり

まだ完全寛解では無い中

母が仕事に立ち向かうのは

難しい部分がありました




この母の仕事や

鬱の原因を詳しくは

話せないから

本当になんて話したら

いいのか…難しいんだけど




家族として

横で見てて

もう全て投げて

楽にしてほしいと思っても




現実 仕事は

たくさんの人のことも

巻き込んでいて




母は代表という

責任もあって

現実、そう簡単に

手放せないことも多くて




本当にこればかりは

どうしようもなく

母も辛かったことだと思います




そして母自身の

希望もあって

また仕事に取り組むことに

なった。という感じです


 

母の退院祝いにディナーへ🤍

入院前はこんな風に

一緒にご飯も笑って

食べれなくなってたけど

退院後はまた笑って一緒に

ご飯食べれて嬉しかった!

 

この時は母自身も

もう元気になったと

思ってたみたいだけど

 

今、本人曰く100%に元気になって

この時を振り返ると

まだ70%くらいの

回復だったのかも...

と話していましたちょっと不満

 

 

母の退院...そして再入院まで

次の記事へ続く🤍

 
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