34歳で余命宣告された私ってこんなん
イイね🤍コメントありがとうございます!
めちゃくちゃ励みになり力をもらえていますっ
過去 振り返り...
ある意味"一日の余命宣告"だった
よく「余命宣告を受けた」
という話をするし
これまでも何度か
当時を振り返って来てて
今ってあれからもう
6年経とうとしてて
今の私は前に進み
続けているから
あんまり何度も当時のことを
振り返ったりしないけど
でも やっぱり
この「余命宣告」は
私にとって大きな起点には
なっていて
ここから第二の人生が
始まったと言っても
過言では無いな〜と思うから
時折 振り返りたいな
とも思うん
なので今日は
そんなお話を久々に
したいと思います
まず余命宣告を受けたのは
2019年の9月末
34歳の時
もう寝たきりで
自分で体をずらすことも
立つことも
起き上がることも
寝ることさえも出来なくなっていて
で よく
「2ヶ月の余命宣告を受けた」
と分かりやすいから
そう話すけど
私の場合よくある
わかりやすい
診察室で先生に
家族と一緒に聞かされた
とかではなくって...
もう当時 私は
診察室にもいけないし
(歩けないし立てないから)
まともに話を聞くことも
体力的に出来ない状態で
だから何ページかの紙に
今の私の状態を
書いてまとめたのを
医師に渡されて
"もういつ死んでも
おかしく無い"
みたいなことを書かれている
箇所を見せられて
「ここよく見てください
確認しましたか?」
「はい、しました」
みたいに線を引かれて
わざわざ確認させられた感じ
で 後から
母とかに「年を越すのも
難しいかも」って
言っているのを聞いて
その時10月だったから
今の解釈として
分かりやすく
「2ヶ月の余命宣告を受けた」
と話してるん
だから実際は
「今日・明日いつ死んでも
おかしく無い」
ってはっきり言われていたから
余命とかもはや
ようわからんっちゃ
わからんレベルやったん
やけど
言ってしまえば
1日の余命宣告とも
言えるような状況ではあったん
で 実際当時
医師に余命宣告的な
言葉を受けて
私は どうだったっかていうと
これまでも
よく話して来たけど
落ち込むとか
絶望するとかは不思議と
なくって
「あ、、そうなんやー」
「そりゃこんだけ苦しいもんなー」
と どこかで納得する自分と
「でも 私死なないやろうなー」
って確信があったん
ある意味
相反する思いでもあるんやけど
それが正直な
当時感じた私の気持ちです
次の記事では
この時の感情について
もう少し詳しく
掘り下げてみようと思うー