最近、韓国の友人に面白いと教えてもらった
この"スタートアップ"
というドラマにハマってるのですが
……

↓↓↓
それは、この主人公の女性の
母親がわりとして孫娘(主人公女性)と
一緒に住む祖母が↓↓↓
どうも、失明する病気になったらしく…
(今はまだ見えている)
でもそれを孫娘には隠していて。
けど、その事を
1番上写真の男性に知られてしまいました。
その時に"周りには隠してほしい"
という祖母の方の想いの言葉が
凄く印象的でした…
(以下抜粋↓↓↓)
"哀れみの目が嫌なの
そんな目で見られると
絶望のふちに追いやられるわ
今すぐ
この世のあらゆる光が消えて
日常が崩れさる気がするの
それに―――
同情されても私の目は治らない"
このシーンを観たときに
私も自分の病気を
限られた友人や家族以外には
言えなかった時を思い出しました
もちろん、誰かれ構わず
言う必要は無いと思うのですが
なんとなく、、
今だったら言うような友人にも
話せてなかったとき……
なんで、あの頃は
周りに病気のことを
あまり言いたくなかったのかな?
と考えると、、
このおばあさんのように
自分の病気のことを言ったときの
相手の反応を見るのも嫌で
可哀想。。と哀れみの目を
向けられると
自分が本当に
可哀想な人になってしまいそうで
それと同時に
そんな目を見ると
今、なんとか持ってる希望さえも
奪われてしまうような……
絶望を見ると私も感じていたのかも。
と、思いました
もちろん、相手の人が
そんな悪い意味の同情はしないと
分かっていても
そんな問題じゃなくて。
問題はきっと、あの時の
自分の心が
自分の病気を受け止めるのも必死で
何とかギリギリのところを立って
心を保っていたから、、
だから、そんな心を守りたかったし
何より、今まで普通に
健康なときの私を知って接している友人に
病気のことを言うと
変な遠慮されたりしないかな?
とか……
理解はしてもらいたいけど
遠慮はされたくない
なにより、嫌でも
"もう前の
健康な私には戻れない"
と、現実を突きつけられる。
そんな恐さもあったように思います



そして、今の私が思うのは
……
あの時の私は
自分が自分のことを
まだ信じれなくて恐かったんだ
と、思います

誰よりも私が
"もう健康な私には戻れない"
と、心のどこかで思っていて……
でも、そう思いたくないし認めたくない自分と
闘っていたように思います
だから、身体が動かなくなる
限界まで、私は必死に
今まで通りの生活をしようとしたし
出来ることは減って
前と同じとはいかなくても
今までのように
少しでも働いたり、友達とお茶したり
普通に電車にも乗りたかった
今、思えば無謀なことをしていた。
と、思うけど……

そんな想いが
激痛で足を引きずってでも歩き
大出血がいつ襲うか分からなくても
出血しないことを祈り外に出かけたように
あの時の私の身体を
限界まで動かした力のようにも思います
そして、その後
もうどんだけ頑張っても
どうにもこうにも身体は動かなくなって
遂には余命宣告までされて
ようやく私は本当に認めざるを得なくなって
……
その頃をきっかけに
少しずつ、自分の病気もちゃんと
受け止められたように思います
そして、前までは
自分の病気を受け止めること
=健康な姿を諦めること
と、私はどこかで思っていたのですが
……
いざ、受け止めてみて気づいたのは
そうじゃなくて。
自分の病気を受け止めること
=自分を認め、信じること
に繋がり……
受け止められてなかった頃の私より
今の私は、自分を受け止めることもできて
、、そしたら自然に
自分を信じることもできて……✨
気づけば今の私は
"また健康な頃の私に戻りたい"
じゃなくて
"私は健康な姿になる。
それは、前のように。
じゃなくて
前以上に!!
だから戻りたい。
じゃなくて
新たな、前以上の
私に変えられる!✨"
そう、信じることが
できるようになりました!
✨

私が強く思うのは……
どんな状況だろうと
過去の私以上に
今の私がもっと最高で
未来の私はもっともっと輝いている!!
ってこと!
✨

(今日は、友達が家に遊びにくるので
いまかいまかと、待っています♡笑
)

"神よ あなたは私の神。
私はあなたを切に求めます。
水のない 衰え果てた乾いた地で
私のたましいは あなたに渇き
私の身も あなたをあえぎ求めます。
私は あなたの力と栄光を見るために
こうして聖所で あなたを仰ぎ見ています。
あなたの恵みは いのちにもまさるゆえ
私の唇は あなたを賛美します。"
詩篇 63:1-3
mimipopo
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