"ミミポポさんや
クリスチャンの人達は
死についてどう考える??"
と、シャワー介助してもらいながらの
普段の、何気ない会話で
訪問看護師さんからの質問

"看護師"という職業柄
普通の人より"死"を感じることも
多くて、実際"死"を間近にする人を見て
考えさせられることも多くて
……
ミミポポさんは、どうなのかな?と
聞きたくなった。
と、いう訪問看護師さんの問いに
ふと、思い出したのが
私が余命宣告された直後の
母のパートナー、ニコの言葉でした
2019年9月末
余命宣告された直後
もう動くことも息をすることも
簡単ではなくなっていた私は
病院のベッドで母が今後の治療とか
手続きをしているのを待っていて
そこに駆けつけたニコに
"私、こんな状態だけど…
ニコだったらどうする?"
と、何気なく問いかけました
少し間を置いてニコは
"僕は天国で神様に会うのは
楽しみだから
死ぬこと自体は恐くない。"
と、笑顔で答えました
それは、だから"死にたい"
という話でもなく
ニコは、私がこのまま死ぬ。という前提で
話してる訳でもなく
ただ、単純に死を恐れてないから
ただ、今の状態を受け入れる。
ということなんだったと思います
そもそも、この問いをした私は
何度かこのブログでも話してるように
"今、私はココでは死なない"
という確信があったから
"死"について考えていた訳じゃなかったけど
ふと、ニコを見て
ニコだったらどう感じるのかな??
と、気になってした問いでした



そして、確かに聖書の教えで
"神様を信じる人は
天国に行ける"
と書かれていて
天国で第2の人生を歩めてそこには
永遠の命がある。って言われてるけど
それを心から信じれたなら
死に対する恐怖や苦しみって
大きく変わるんだろうなぁって
その時のニコの答えを聞いて思いました



そして、私は。というと
頭でこの教えを理解して信じてもいるけど
実際、今は"死"については
考えて生きてないから
あまり深くそこについての
答えは分からないです

というより
"まだ、深くは考えたくない。
考える必要はない。"
というふうに思ってる。というのが
正しいかもしれません

ていうのも、今は
"死"について考える時じゃない。って
私は思っていて……
いつか、本当に"死"に近づいた時に
しっかり自分の心と向き合って
受け止めていけばいい✨と
思っています



例えば、自分がガンになるまで
"ガンになったら私どうしよう?"
なんて、深く考えてこなかったように
ガンにもなってないのに
"ガンになったら~"と考えるのは
そんな現実を自ら引き寄せそうだし
何より、楽しくないから。笑
今の私には"死"について考えるより
"生"について悩んだり考えたりして
生きていたいと思っています

でも!もちろん!
"私はガンにならない"なんて思うな。
と言われるのと同じように
私は、必ずいつか死ぬ時が来るし
その事を受け止める時が来る。というのは
頭にあるから……
その時は、やっぱり私は
ニコのように聖書の教えを信じて
あまり"死"を恐れすぎずに
穏やかにいたい。とは思います

プラス、今も意識するのは
"人間には、自分でどうしようも
出来ないことがあること"
を受け入れる勇気を持ちたい。
と、思っていて……
私が明日も生きたい!と願っても
私には寿命をのばす努力は出来ても
決定することはできない。
というように……
そこはもう、神様の領域だから
確実に生かされてる"今"を大切に
感謝して生きて
それが少しでも長く続けばいいなぁ✨と
思って生きています
笑

結局!訪問看護師さんの問の
答えの結論は、、って言うと
"まだ、今の私は死について
深くは考えてない。
でも、考える方向は
決まっていて、、✨
時が来ればその事を
受け止めようと思う!"
って、感じです
♡

どうせなら、私は死ぬ時に
生かされた日々を感謝して
プラス、、出来るなら
死んだ後を期待しながら死にたいです!



でも!今は、そんなことより
生きることについて考えて生きる!!
笑笑\( ˆPˆ )/
"ですから、私たちはいつも心強いのです。
ただし、肉体を住まいとしている間は、
私たちは主から離れているということも
知っています。
私たちは見えるものによらず
信仰によって歩んでいます。
私たちは心強いのですが
むしろ肉体を離れて
主のみもとに住むほうがよいと思っています。
そういうわけで
肉体を住まいとしていても
肉体を離れていても
私たちが心から願うのは
主に喜ばれることです。"
コリント人への手紙 第二 5:6-9
mimipopo
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