今、1日を椅子かベッドで
過ごしている私が
完全に歩けなくなったのは……
基本は車椅子移動になっていた頃です)
この↑2019年6月末くらいから始まり
……
2019年9月には完全に歩けなく
なっていました



その原因は、乳がんからの
全身骨転移により
特に左大腿骨の付け根部が
大きく1/3ほど
骨が溶けてしまい……
気づいた時にはすでに
ヒビが入っていて
もういつ折れてもおかしくない。
……そんな状態で
お医者さんに左脚の加重を
一切禁止された為です

(しかし、禁止される以前に、その頃は全身の骨の痛みで
歩くことどころか、座ること、寝ることさえも
苦痛になっていました
)

そして、歩けなくなる
=1人で日常を送ることが出来ない。
そうなった私は
その頃から24時間介助が
必要になりました

1人で歩くどころか立つことさえも
もう出来ないので
水を入れてもらったり……
トイレに連れて行ってもらったり
……
とにかく、何をするのも
移動が必要なものに関しては全て
誰かにお願いしないといけない



そんな状態になって
初めて、介助してもらう側の気持ち
を知りました

介助って、当たり前だけど
介助してもらう側と
介助する側があって……
どちらにも悩みや
ストレスは少なからず
付きものなんだと思います



私は、介助する側になったことは
無いので、、
無責任に介助する側の気持ちを
話せないので……
あくまで今回
"介助してもらう側"
としてのお話になる事を
予め、ご了承お願いします

改めて、、
私が、介助をお願いするようになり
1番ストレスを感じたのは
……
今までは自分で出来たことを
全てお願いしないといけない。
という事です



例えば、お水入れてほしい。
から始まり……
ティッシュ取って。あれ取って。
椅子押して。手を洗いたい。
etc…………
正直、こんな些細なことを
頼まないといけない
という事も気を使うし……
私が煩わしいと思う以上に
介助してくれる側も
煩わしい気持ちになる事も分かる

だからこそ!
頼む時、1回1回気を使うし

でも、お願いしないとそれはそれで
やりたい事ができないし……
自分で出来るもんならしたいのに
何かお願いする度に
しんどくさせるかも?と思うと
もう、それだけでしんどい。。
そんな日常動作の
些細な事に、1番ストレスを
感じました



そんな時に私が救われたのは
度々このブログでも
登場する我が家の光(笑)
ニコの対応です!



(ニコとの関係はコチラの記事に書いています)
↓↓↓
ニコの凄いところは
どれだけ私が些細な事を続けて
お願いしても……
ニコが自分の事をしていたとしても
どんな状況であっても……
"Good idea!"
と、むしろ"それ良いね!"
ぐらいの感じで
プラスの言葉を返してくれることです



絶対、しんどい顔や
マイナスな言葉は吐きません。
そして、細かい事を言うと
私は落ちた髪の毛が嫌いで

ベッドに落ちてる髪を
自分で拾いたいのに
身体が痛くてそんな事も
出来ないとき……
普通、そーゆうことを
いちいち頼むと
"もうー細かいんだから!"
みたいに、気にしない人からしたら
そう思われて当然なことも
ニコは、わざとらしく
"ギャーっ髪の毛あるーっ!"
"ゴキちゃんの餌ー!!笑"
とか言って…むしろ
私が驚くぐらい激しく反応して
笑いながら髪の毛を拾って
捨ててくれました。笑
もちろん、ニコは普段
そんな細かい事を気にする質では
ありません



これも、自分で細かいと
思っていても気になってしまう
私にとっては
とても救われた事でした



そんな事を経験して
改めて思ったのは……
笑顔や笑いは
最大の武器だ。ということ
笑

介助をする側も、される側も
どこかしら互いに
負担を感じ、イライラしてしまったり
それが態度に出てしまったり
……
そうなって当たり前なくらい
介助って
とても大変な事だと思います

でも、どう感じるかはさておき
とりあえずマイナスな言葉は言わない。
これって凄いいい事なんだと
思います!互いの為にも

そもそもニコは面倒だと思わない人。
ではなくて…!

多分、面倒だと思うような
事柄について
あえて"Good idea!"と
良い事柄として捉えて口にしている
ようにさえ思います



そして、自分とは違う価値観の
事柄については
それが面白い!くらいの感じで
捉えてるんだと思います

よく、なりがちなのは
自分と違う価値観だったら
"そんなことで……。"
みたいに思ってしまって
言ってしまいがちな事だと思います
でも、私はそう言われた時
"私にとっては、そんな事じゃなくて
大切なことなの!"
と、凄く嫌な気持ちになりました



今思うと……
そこには多分、"そんな事"って
思われる事さえも
自分で出来ない辛さもあったから
余計その言葉に反応してしまった
ように思います



今は、介助されることにも
慣れてきて……
ある程度の妥協も覚えたし
介助してくれる人と
ぶつかる事はほぼありません



むしろ、今は笑いながら
介助してもらえて
楽しく心地よく過ごせています

でも、ここに至るまで
ぶつかってしんどくて泣いてきたことも
あったし……
改めて、振り返ったときに
ニコの行動に教えられた事は
大きかったなぁ。。
と思い、今回こうして
お話しさせて頂きました

どうしても、母と私2人だと
近すぎて、互いに必死だからこそ
ぶつかってしまう時に
ニコのいつも笑ってくれる存在は
私だけでなく
母にとっても救いになったと
思います



そして、いつも仕事しながら
1番に私の事を考え
支えてくれている母には
もちろん!言葉には出来ないくらい
感謝しています!

聖書で、闇を照らす光になれ。
というような言葉が
あるのですが、、
光のようなニコの振る舞いを見て
改めて、光の存在の大きさ
大切さ、それがもたらす影響を
身をもって感じました



じゃなくて……
誰もがそんなふうになれることだし
私もそんな光のような人で在りたい。
と、改めて学べたことでした



こうして、介助が必要になった事は
決していい事じゃないけど
……
そんな困難の裏側には
こうして、介助が必要になって
ニコと過ごす事になったからこそ
気づけた喜びがありました

こんな風にどんな困難にも
必ず喜びや気づきのような
備えがあること。
悪い事にだけ目を向けずに
それ以上の良い部分が
必ずあることに目を向けて
感謝してこれからも
生きていきたい!と思いますっ



そういえば……
私が余命宣告直後
もう、自分でも訳が分からないくらい
しんどくてイライラもするし
泣き叫ぶしかないとき



ニコはそんな私に
"愛してるよ!大好きだよ!"
とか、いつも愛の言葉を
(もちろん家族としてです
)

投げかけてくれました
すると、自分ではもう
コントロールも出来なかったのに
不思議と落ち着く事が出来ました



こんなふうに、、
どんな考えや知識よりも
愛
に、勝るものは無い!!
(異性の愛とかでなく、人間の愛の話です
)

そんな人としての愛を今
動けない日々の中でも学べている。
そんなふうにも思って
こうして生かされている毎日に感謝
の日々です





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